犯罪者の精神と身体

アドルフ・レンツ『犯罪生物学原論―受刑者の審査による犯罪者の人格の発達と本性』吉益脩夫訳(東京:岩波書店、1938)

訳者の吉益脩夫は東大・三宅鉱一門下の精神医学者で、優生学や断種に好意的であった少数派の精神医学者である。この著作は、ドイツ語の原著は1927年刊で、犯罪と精神医学などの問題を深く掘り下げてきた吉益の出発点となった著作である。「犯罪生物学」というのは、ややミスリーディングなタイトルで、注意が必要である。ロンブローゾのような遺伝される犯罪性を実体化して考えるような、「生物学」という言葉から思いつくような方法は厳しく批判され、むしろ人格を構造をもった全体性として捉え、この人格の中で犯罪を理解しようとする。また、この人格は常に発達し変化するものとして動的にみられるから、遺伝的な素因だけでなく、後天的な素因も重視される。また、吉益の言葉を借りると、「個性」なるものが前景に現れたことが重要である。犯人はある集団を代表する平均的ななにかとして見られるのではなく、現実的な独自の個体として見られる。そのため重要になるのが、具体的な犯罪者につき、その躍如たる姿を把握する方法、つまり「症例」の方法である。実際、グラーツの刑務所で観察された具体的な症例が、犯罪者の個性を生き生きと伝えている。

ロンブローソは、生来的犯罪者の概念と、犯罪性向は遺伝すると考え、ナチスと親和性が高い優生学者であるかのように評価されている。その評価はもちろん部分的に正しい。しかし戦前の日本ではロンブローソはむしろ天才論者として、別の視点で評価されていたし、彼の考え方は、むしろ犯罪者・天才の個性を際立たせる思想であった。推理小説に登場する個性的で魅力的な犯罪者像に近い。このあたり、まだ調べていないから曖昧なことしか言えないけれども、このレンツの著作も、似た傾向のものであると思う。