満州・モンゴルの比較精神医学

田村幸雄「満州国に於ける邪病(Hsieh-Ping), 鬼病(Kuei-Ping), 巫医 (Wui), 過陰者(Kuoyinche), 並びに蒙古のビロンチ、ライチャン及びボウに就いて」『精神神経学雑誌』44(1940), 40-54.
内村がアイヌのイムについてまとまった論文を『精神神経学雑誌』に発表したのは1938年で、その論文は、日本帝国の各地における文化精神医学的な研究を刺激した。満州地方における研究が、この田村のものである。これは、もともとは原著論文としての投稿ではなく、雑誌の「紹介欄」に投稿されたものであるが、「編集幹事の慫慂に従って」原著に格上げされた経緯を持つ。たしかに、論文の成り立ちをみると、本格的なリサーチに基づいた仕事とは言えない。著者の田村は、満州医科大学精神病学教室に所属していて、講師のような仕事をしており(詳細は不明)、ある精神病学講義の最後に、満州人・中国人の学生に「満、蒙、支における迷信ならびに特殊なる精神病について」という宿題を課したという。その学生の回答を主たる素材としたのがこの論文であり、実際に著者が行った観察はエピソード的にしか使われていないから、確かに、原著論文というより「紹介」として投稿するにふさわしい。これを原著に一気に格上げしたのは、おそらく内村祐之だろう。

論文は、満州における邪病と巫医を中心に説明したものである。満州においては、動物が長年にわたり日精・月精を受けると「仙」になるという信仰がある。狐や蛇、鼠、鼬などは、「仙」となり、人間に取憑いて人格転換を起こす「邪病」となる。たとえば、狐の仙が取りついて、自分の巣穴を壊したことを責め、食べ物を要求するというような症状を示す。同じように、死霊である「鬼」が憑くのが「鬼病」である。この鬼・死霊は、あの世における生活に必要なものを、取り憑かれたものの口を通して伝える。一方、これらの仙が、人に取憑いて、逆に病人を治す能力を付与する場合もある。それが「巫医」であり、この場合も、人格転換が起きる。巫医は、出馬の儀式をして火の上を素足で歩いたり刀の上を歩いたりして、治療に向かう。治療においては、蛇の神仙は卵を要求し、狐の神仙は酒やタバコを要求するという。(満州の狐が煙草を吸うかどうかはよくわからないけれども、それはまあいい)起きない場合を「過陰者」といい、現実の世界を「陽」とすれば、仙や鬼の世界は「陰」であり、その陰の世界に赴いて病気の原因を調べるからである。

蒙古のビロンチは「イム」によく似た症状で、「オットゲー」「オットコバットゲー」といって発作に移行し、命令自動、反響症状、性的言語などもある。ライチャンは、「ぴょんぴょん跳ねる」と言う意味で、失神状態になり人格の変転が起きて跳ね回りながら自分の身体を突き刺して流れた血を患者に飲ませて治療する。ボウは巫医と似ており、病気の治療以外に占いなどをする。