メスカリンと応声虫

日本精神神経学会『三宅鉱一博士還暦記念論文集』(東京:日本精神神経学会、1938)
日本の精神医学の歴史研究において、呉秀三とその問題意識に注意が向きすぎていると私は感じている。呉はもちろんクレペリンの精神医学を日本に導入し、日本の精神病院が発展する制度の設立にかかわったという、近代の精神医学の歴史上最も重要な役割を果たした東大教授であることは疑いない。また、日本の精神医学史研究において圧倒的な実力と資料を持つ岡田靖男先生が、呉秀三の熱烈な崇拝者のせいで、日本の精神医学の歴史は呉秀三が関心を持った問題を中心に回ってきた。もちろん、それはそれでいい。この系譜の中から、橋本明の仕事のような、呉―岡田の考えと対決する研究も現れており、呉の問題系の研究は続けられるべきである。

しかし、呉がそれほど関心を見せず、大きな役割を果たさなかった問題群の研究が遅れている。具体的にいくつか出すと、中産階級の精神病・神経症の問題、彼らが用いた私立病院の利用法、精神分析の問題など、大きな問題についての私たちの知識が進んでいない。同じように、呉以外の東大教授たちの研究も進んでいない。呉の次に東大教授となった三宅鉱一は、重要なプレイヤーの一人である。

この論文集は、三宅鉱一の東大精神科の退官と還暦を祝って40点以上の短い論文を集めたものである。病理解剖を中心にしているのは、この時期の日本の精神医学者たちの身体的な志向をあらわすが、一方で、教育・治療・社会、統計、神経質などの多様な問題も含まれている。特に面白い論文が二つ。一つが北大の石橋俊實が書いたメスカリンの実験で、二名の医学生にメスカリンを注射して、その酩酊実験をしている。メスカリンは、オルダス・ハクスリーやアンリ・ミショーなどの知識人・芸術家によって用いられて、モダニズムと精神変容を象徴する薬物になったが、この実験については私はこれまで知らなかった。日本における他の実験も存在したとのこと。

もう一つが、前から読みたかった栗原清一という医者の文章があった。栗原清一は昭和7年に出版された『日本古文献の精神病学的考察』という書物の著者で、旧い文献に現れる怪異譚などを紹介した面白い文章をたくさん書いた。ここに採用された文章も、好古家の面目躍如というべきであった。「応声虫」についての中国の故事を紹介しており、喉の中に虫が住み、自分が言う言葉に応えて声が出るという奇病にかかった人物がおり、当時の名医がこれを診て、治療法を考えた挙句に、本草経を持して患者に読ませたところ、患者が読んだ声に応じて喉の中の虫もこれを読んでいく。しかし、貝母の条にきたところ、応える声が止んだ。これこそこの虫の弱点であると知り、貝母を与えたところ、病気が治ったという逸話である。