芥川の子供の病気

芥川龍之介「子供の病気」『芥川龍之介全集 第10巻』(東京:岩波書店、1996)107-116.
1923年に初出、次男多加志(当時2つ)が下痢の病気で入院したときの様子を記している。
冒頭は次男の洗腸と粘液を中心に物語が展開する。次男の調子が悪く、Sさんという医者に往診してもらう。Sさんは洗腸をして、淡黒い粘液をさらいだす。芥川は「病をみたように感じた」という。Sさんは、「ただ氷を絶やさずに十分頭を冷やして、ああ、それからあまりおあやしにならんように」という。母親は氷をかく仕事を夜中にした。翌朝には、熱は9度より少し高く、洗腸を繰り返した。芥川は今日は粘液が少ないようにと念じていた。しかし、「便器を抜いてみると」、ゆうべよりもずっと多かった。妻は「あんなにあります」と声を上げた。その声は女子高生のようにはしたないものだった。芥川はSさんに「疫痢ではないですか」と聞くと、Sさんは「いや、そうではない、乳離れをしない内には―」と答える。翌日の洗腸で粘液はずっと減った。母は手柄顔でいい、芥川は安心した。Sさんは明日は熱が下がる、といった。しかし、翌朝、芥川が目を覚ましたときには、もう入院させなければならないことになっていた。妻が抱き起したところ、頭を仰向けに垂らしたまま白いものを吐いた。芥川はいじらしくなり、また不気味な心持になった。Sは芥川と二人だけになり、生命に危険はないが、2,3日断食させねばならず、それには入院のほうが便利であろうといった。芥川は同意して、SはU病院に電話して入院させた。U病院で乳を吐いたが、脳には来ていないということだった。芥川がその夜病院を訪問したときには、妻がいて、妻の母もきていて、お乳を飲みたがったがあげられないから、ゴム乳首を吸ったり、妻の舌を吸ったり、母の乳首を吸ったりしたという。妻の母親は「お祖師様」に願をかけたらしく、そのことを妻にからかわれたりしていた。