幸田露伴「一国の首都」

幸田露伴「一国の首都」
幸田露伴が明治33年に東京の過去と現在と将来を論じた論考である。江戸は300年近くにわたって造られ、生きられ、誇りにされてきたが、その江戸を「破壊して」薩長の侍たちが東京を造り始めてから30年がすぎた時点において書かれた。30年というのは短い時間ではあるが、それほど短いというわけではない。そこで、東京のあり方を批判的に考えようということである。

衛生関係ももちろん議論の対象に入っている。公園は都市の肺臓であり、そこで新陳代謝が行われる。飲用水については、今年の夏季に悪疫が流行したときに、上水上流の支流に無知の愚民が汚物を投入していた事件があったこと、水源地地帯の地方の人民に上水を重視せしめる方策が必要であることを論じる。そして、上水よりも重要なのが、悪水排泄の完備である。現在の東京は、韓国や中国の大都市ほど悪くはないのかもしれないが、下水工事が進んでいない。下水工事が進んだ地域では、土地が乾燥して浄く清潔になる。本所、深川、下谷、浅草の卑湿の地では、溝渠は濁水にあふれ、臭気を放って土地は常に湿っている。これを人為の力をもって改良することこそ、都市を愛すること、首都にふさわしい行為ではないだろうか。溝渠をつくると土地が乾くことは、元来卑湿の地であった浅草新堀の両岸、下谷三味線堀の両岸でもわかる。日本橋と浅草を比べたときに、本来下流にあって卑湿であるはずの日本橋近辺が、繁栄の土地であるため溝渠を縦横に貫通させているために乾いており、一方浅草にはそのような人為がないので卑湿なのである。

月並みな感想だけど、明治の東京に住むということは、歩いて、匂いをかいで、空気の質に触れるということだったのだと改めて思う。その身体の感覚が当時の公衆衛生の改革を支えていた。現在でも、田町や渋谷の駅の近くで、ここは卑湿の地だという感覚を持つことはあるけれども。

塵芥を収集する業者と糞尿を収集する業者の違いについて触れている部分があって、この二つは同じだと漠然と思っていたので、目からうろこが落ちたというか、恥ずかしかったというか。