横溝正史「蔵の中」と結核患者


昨日は「面影草紙」の人間模型をメモしたが、もともとはこの文庫本『蔵の中』に収録された表題作の短編を読もうとして買った。「蔵の中」は1935年に雑誌『新青年』に発表された中編で、耳が不自由な美しい姉と美少年の弟の近親相姦的な思いを背景にした物語である。私が高校生の頃、角川から映画化されて、姉を演じたのが「ニューハーフ」であったことが話題になった。横溝自身が結核の治療のために信州で療養していたこともあって、結核患者の生活のあり方が全体の主題になっている。

姉の小雪は美しい少女だが生まれつきの聾唖者である。弟の笛二は14歳でこれも美少年であった。姉の生涯のために二人は日陰の生活にこもりがちで、東京は本郷の商家の蔵の中で千代紙やお手玉をしたり、錦絵や草紙などを見ては美しい姫や若衆が相手に似ているとはにかみながら示しあう時間を過ごしていた。小雪が喀血をして安房の海浜の療養所に連れて行かれるがすぐに死に、笛二もすぐに療養所に行って4年ほど過ごすが、はかばかしくないまま家に帰って蔵の中で過ごすようになる。そこから遠眼鏡で覗いた事件を描くありさまが、物語の中心になり、この部分もモダニズムの意識を持っていて面白い。

ここで取り上げたい主題は、物語の重要な背景が、結核患者が蔵の中にいるという状況である。手元にある山本茂実ああ野麦峠』をチェックすると、飛騨の村では、信州の製糸工場の稼ぎにいった娘が結核になって帰ると、そのことを隠そうとして彼女たちを蔵の中やそれに類似した場所にいれたことが記してある。「どの部落にいっても一人や二人の肺病やみが納屋のようなところに閉じ込められていて、子供たちはそのそばを鼻を抑えて通った」「光もない倉の中で戸を開けたら異様な情景に一瞬ぎょっとした」というような記述である。結核患者を蔵や納屋など、屋敷の中で仕切られた暗い場所に閉じ込めることは一般的に行われていたことであり、結核キャンペーンの時に悪習として医者や政府に批判されていたことであった。

横溝は、強制的に閉じ込められ隔離されていることを強調しない。この姉弟の蔵の中の耽美的で変態的な世界は、ある種の強制隔離に起源をもちながら、隔離された先に独自の世界を発見している。この世間からの追放と、世間とは違う美意識の発見の主人公が肺病患者である。

画像は「蔵の中」のポスター。この映画で主演した松原留美子さんは、現在、宮崎留美子と名前を変えて、トランスジェンダー系の活躍をあちこちでされているとのこと。