今東光の短編「稚児」は、延暦寺が蔵する古文書で稚児との性愛の技法が書かれたものを読んで書かれたもので、『今東光代表作選集 第五巻』で読むことができる。その横にあった『今東光代表作選集 第四巻』に「弓削道鏡」という作品があり、少し読んでみたら面白かったので全部読んでみた。ポイントは二つ。一つは、真面目な日本史研究者は風説として苛立つだろうが、道鏡の巨根の問題を障害者の問題として捉えていること。男性器が大きすぎて、それに見合う女性がいなかったことを障害として捉え、そこから野心を別の方向に向けて僧として出世したというストーリーである。ちなみに孝謙女帝はそれに見合う女性器を持っていたという設定になっている。
もう一つは「看病僧」の問題である。この小説では、道鏡が看病僧として孝謙女帝に近づき、手や足を撫でさすっているうちに性行為にいたったという設定である。看病僧によるセラピーとしての「なでさすり」があったとは思い及ばなかった。きちんとして体系だった研究は読んだことがないが、西洋でも、修道女によるマッサージは、治療とエロティックな行為が混ざり合ったものとして用いられており、『トリストラム・シャンディ』においてトリム伍長が負傷して修道女にマッサージされる場面が描かれているし、19世紀のロンドンでは、医療を装って魅惑的な女性がマッサージをするサービスが存在して、問題として取り上げられている。近代日本でも、看病僧の手技に基礎を持つマッサージなどが、医学とその周辺で用いられたりした可能性があるのかもしれない。心にとめておこう。