中野美代子『三蔵法師』

中野美代子『三蔵法師』(東京:中央公論社、1999)
純粋に楽しみのための読書で、中野美代子『三蔵法師』を読む。西遊記の三蔵法師で有名な玄奘(602-664)のインド取経の旅を中心にした伝記である。玄奘になぜ興味を持ったかというと、しばらく前から般若心経を写経しているが、玄奘はその漢訳者であると言われていること、そして、去年の秋に法隆寺の特別展に行ったとき、法隆寺の僧たちが玄奘の『大唐西域記』に魅せられて、大きな地図を描いたことが心に残ったからである。アマゾンで調べたら、中野美代子の著作があったので、買ってみた。中野美代子は、私が大学の学部生の頃に愛読したし、思想史の道具で文化を読み込む手法や、図版が多く表紙とカバーのつくりがお洒落な本は、当時の私にとって憧れの的だった。『西遊記』は子供の時に最も愛読した書物の一つで、金閣大王・銀閣大王との蓮華洞での決戦を読んだときの痛いようなスリルは、今でも思い出すことができる。私の世界観は、だいたい子供向けの西遊記のそれだと言ってもいい(笑)

玄奘の伝記を軸にして、さまざまな研究の面白い部分で色合いを加え、西遊記などの空想ものの物語との比較や、図像分析、大胆な推論などがちりばめられた、中野美代子らしい魅力がある著作になっている。中野自身が実際にシルクロードを踏破する取材旅行にも行っていて、玄奘の旅のある部分については自分の足で歩いてみたというおまけもついている。私の頭の中では玄奘シルクロードを旅する僧のイメージが強かったけれども、彼の実際の行程をみると、北インドにはじまって蛇行しながらインド亜大陸を時計回りに回っている。中野の書物も当然その半分弱はインドについて述べている。玄奘が取経の過程で身につけた鋭い実践感覚が賛美される箇所がある。見知らぬ土地で、しかも仏教がヒンズー教、ジャイナ経、ゾロアスター経などに圧倒されている土地で、仏教の経典を取得していくには、特に影響力があるパトロンの力を巧みに使うことが必要だったという。言われればその通りであるが、『西遊記』という空想・幻想の極致の文学や、龍や麒麟など空想的博物誌の動物の解説者として中野美代子を知っている私にとっては、現世的なことを真面目にいうのが、少しおかしかった。