戦時神経症の治療と精神科病棟という「脅迫」

国府台陸軍病院の精神科に応召された櫻井は、戦時神経症、年金神経症の治療において有効と判定されている方法が、当時の陸軍では利用できないことを知る。一時賜金によって患者と責任関係者の間を断絶させる方法は、国民と国家の間に適用することができないのである。そのため、櫻井は陸軍における戦争神経症の治療の成功について絶望していたが、ある症例がヒントを与え、最後には陸軍における戦争神経症の治療法を教えてくれることになった。

その症例は、やや複雑な過程を経ている。患者はもともと三菱造船に勤務し、作業中の事故で後頭部を強打して軽い後遺症が残っていたが、作業をすることは可能であった。軍に応召して北支で石段を滑って同じ後頭部を打ち、患者は誇張的・多弁的・紛争的な仕方で多くの症状を訴える。櫻井は恩給等差を「壱目症」として退院させたが、その後、再査定を要求して再び国府台に入院した。会社では困難な仕事はできなくなり、収入も低下した。別の陸軍病院に入ったが、そこでは軍医に「この程度ではどうにもならない、[陸軍と患者の]我慢比べだ」と言われて相手にされなかった。傷痍軍人会に言われて、再査定を要求して国府台に再入院した。恩給の再査定と傷痍軍人会という、櫻井自身がまさしく「関係断絶ができない」と考えたメカニズムに乗って、手強い患者が再入院してきた。

この患者は、予想通りに強硬であった。陸軍は働くこともできない人間に恩給も与えず、餓死させるつもりかという。このセリフを聴いて、櫻井は勝負に出ることになり、彼のほうでも患者を威嚇することになる。1) この病気の恩給は一切変更しない、2)この病気は心因性でいつかは必ず治るから、それまでずっとこの病院から退院させない、しかも、反軍的な影響を与えるから、精神科病棟に収容することとする。現職は辞任して、病気が治るまで国府台の陸軍病院の精神科に入っていろという。櫻井の威嚇は、実際の陸軍病院の制度が、医師が許可しない限りいつまででも退院させないことができるものであった点に、その迫真性を持っている。しかも、その中の精神科病室といえば、「精神病院に生涯のあいだ閉じ込める」という強迫と同義になっている。

医師は、これを慎重に、果断に、鉄の心をもって行わなければならない。周囲から非難されることもある。(それはそうだろう 笑) しかし、事実においてはこの手法は有効であり、櫻井は実際に多くの手強い症例をこの方法で治している。これこそが、陸軍の制度にあった治療法なのである。
しかし、精神科病棟に収容されても一向に感じないさらなるツワモノがいる。このような患者に対しては、櫻井はもう一つの治療法を行う必要があるという。(続)