日本の児童福祉の状況について

Kathryn Goldfarb, “Developing a Modern Body Politic: Japanese Child Welfare, Advocacy, and the Politics of the Normal”

1月15日に駒場で開催された講演会で、日本の現代の児童福祉をめぐる状況についてのフィールドワークに基づいた報告を聴いた。日本においては孤児などに対する福祉は、かつては施設が中心であり、乳幼児と未成年者向けの施設が、そのような福祉を担っていた。しかし、近年の新しい潮流としては、欧米諸国で行われているようなフォスター・ペアレントと養子制の優越を唱えるものが多い。「家庭型」の環境における生育を唱える人々は、家庭型での生育は施設でのそれに較べて優れており、施設で生育した子供は感情的に欠落した子供が作られるという。「冷たい国家は冷たい子供を作る」「温かい子供は暖かい家庭でしか作られない」というのが彼らのモチーフである。そのために、脳の画像を見せて、施設で生育した子供たちは脳の反応が未発達であるという。子供の感情形成と国家の成熟度を合致させるロジックが、(愚かしいほど)還元主義的な科学的な装置で正当化されていることになる。

一方で、実際に児童福祉の中で仕事に励んでいる人々、場合によっては児童福祉を論じる活動に携わっている人々には、自身が児童福祉施設で生育した人々がかなりの数にわかって存在する。彼らにとっては、「施設で育った人間は感情的に冷たい」と言われる状況は非常に厳しいものがある。

よかれあしかれ、日本の福祉は、欧米流のモデルにおいついては、欧米では別のモデルが主流になっているということを経験し続けていた。目標が気が付かないうちに変わっていたか、あるいは気がついても方向を変えるのに時間がかかっていたのか。このような構造は、たとえば精神医療において顕著である。欧米では精神病院の閉鎖の一つの原因であった反精神医学を影響された日本の精神科医は少なくないにもかかわらず、その時期は日本の精神病院の劇的な拡大の時期であった。きっと、同じような問題が当時存在したし、現在の地域医療への流れの中でも存在するのだろう。