泉鏡花「婦系図」

泉鏡花婦系図
鏡花の夢幻・怪異系の作品を読んで、昔はよく分からなかった作品が心に響いたので、鏡花を読む時期なのかもしれないと思って、「婦系図」を読んでみた。大学生に入ったばかりの頃に読もうとして、退屈で退屈ですぐに投げ出した作品である。あのころは翻訳で読んだフォークナーやスタインベックが心に響く作家だったから、確かに、鏡花とは両立しない。歌舞伎の世界でいう「世話物」ふうというのだろうか、連載は1907年だが、その時期の東京と静岡の人々を描いた作品である。

構成、筋の展開、登場人物の心理の掘り下げといった、近代小説の教科書的な美徳は一切持っていない作品で、それはそれで仕方がない。シェイクスピアがラテン語で芝居を書かないからといって、それが彼の欠点ではないのと<ほぼ>同じである。主人公の早瀬主税は、もともとは孤児で不良少年となり東京で掏摸をしていたが、心を改めて本郷の大学でドイツ文学教授をする酒井先生の家に住み込んでドイツ語を習って、その翻訳と大学の非常勤講師で生計を立てているという設定である。彼の周りには、エリート階層の中で学士様と娘を結婚させて「婦系図」で家と家族を繁栄させようとする、河野家の人物が登場し、この河野家と主税の対決というのが全体の構造をなしている。

主税は学者としては周縁的でやくざな身分だが、女については圧倒的な凄腕で、元芸者のお蔦、酒井先生の一人娘のお妙、そして河野家の娘で、いまは理学士と医学士に嫁いだ二人の人妻と、合計4人の女と大体同時進行で色事が進行する。そのあたりの、江戸・東京の生活の細部に、美しい着物、粋な所作、仕掛けた髪とかんざしが、まるで動く幻燈のように提示される部分は、惚れ惚れとする。お蔦と同棲していることが発覚して、酒井先生がべらんめえ調で主税を叱り飛ばすところもまさに痛快であり、大学の教師は、こういう叱り方をすると一発でアカデミック・ハラスメントになる「悪い見本」として必読である(笑)

あとは河野の家は病院を経営しているから、その部分でのトリヴィアがいくつか。

無人島に持って行きたい作品ではないけれども、30年前に読んだときよりもだいぶ分かるようになった気がする。この年になって、鏡花を味わうことができて良かった。