明治19年の神田のコレラ


ここしばらく、研究書や論文を読む暇がありません。 たまには、自分の研究の話をさせてください(笑)

明治19年の東京のコレラを、町名ごと・一日ごとに患者の数が分かる資料を見つけて、データペース化して分析している。1500くらいの町名に関して、だいたい3ヶ月間だから、14万件近くのデータということになる。

全体としては、神田、日本橋、京橋、芝、浅草、本所、深川という、ウオーターフロント系の地区に多い。 一つ一つの区の中で違いを見ると、色々と面白いことが分かる。 その中で、神田区で大きな流行を経験した町を地図の上にドットすると、神田区の東側に偏っている。これを、この前記事にした「江戸明治東京重ね地図」で江戸時代の地図の上に移し変えてみると、「内神田」と呼ばれた町人が居住する地域に集中していて、武士が居住していた「小川町」であった地域には、明治のコレラで高い罹患率を出した町はない。

似たような傾向は深川でも観察できるが、なぜだろう?