『東海道四谷怪談』

鶴屋南北『東海道四谷怪談』河竹繁俊校訂、岩波文庫 (東京:岩波書店, 1956) 『東海道四谷怪談』は1825(文政8)年に、当時71歳の円熟期であった鶴屋南北が書き下ろした作品である。民谷家に婿に入った伊右衛門が妻のお岩を裏切り、顔面が崩れて醜くなったお岩が死んで怨霊となるというのが、基本的な話の骨格である。それにお岩の妹、伊右衛門の朋輩、非人たちなどが登場し、さらに作品全体が忠臣蔵の世界と結び付けられ、忠臣蔵の討ち入りの実現とパラレルに進行する話になっているため、かなり複雑な構成・ストーリーになっている。  この作品のもっとも重要な小道具は薬であるというのが新鮮な発見だった。もちろん、重要なスペクタクルであるお岩の顔貌の醜悪化が、毒薬を飲んだ結果もたらされたことであるが、それ以外にも、作品の三つの側面において大きな役割を果たしている。まず、この顔を崩した薬は江戸時代の医療と日常生活の一部であった「見舞い」として文脈から出てきたものであったこと。お岩は出産し、出産が終わったあとに隣家のものが「出産見舞い」「病気見舞い」の慣例に従って持ってきた見舞いを持ってくる。その見舞いの中に、本人が食べるもの、看病をするものが食べるもの、そして産後に必要な血の道の薬と称するものが入っている。ところが最後の血の道の薬が、実は毒薬で、隣家が仕組んだたくらみであった。第二に、ストーリーのある部分が、高価な売薬の処方などをめぐって進行すること。民谷家には秘伝の万病に効く薬があり、この薬には奥医師の添え書き・鑑別(これを「きわめ」というらしい)がついており、薬屋にもっていけばまとまった金になる財産であるが、これを使用人が盗んだことが話にかかわってくる。この使用人は最終的に殺害され、お岩とともに戸板の裏表に釘づけにされて流される。第三に、重要な登場人物である直助が売薬人であった。「藤八五文薬売」という、もともとは長崎のオランダ法を称し、駿府や江戸で売りさばいた薬があり、これは二人の男が竹の子笠、紺かすりの単物、脚絆に草鞋、蛇の目の紋所の薬箱を持ち、「岡村藤八五文薬」と書かれた扇子を持って、通りでこの薬を売り歩く。道の両側に分かれて立ち、「藤八」「五文」と叫び、二人が相面して「奇妙」と呼ぶというセールスをしたという。