精神医学的フィールドワーク: 京大の南方民族調査(1942年)
三浦百重・村上仁「南方民族の精神病」『精神神経学雑誌』vol.48, no.2: 1944: 69-78.
1930年代には精神医学フィールドワークが流行し、大和民族と大東亜共栄圏内のさまざまな民族を精神医学的に研究することが行われた。規模ははるかに大きいが、アメリカでも同様の研究が行われている。日本の精神医学フィールドワークは、国内の政策には優生学の実施にかかわり、国外・帝国主義の側面においては、異民族を研究対象とした。おそらくもっとも重要なポイントは、敗戦によってこの流れが中断して、それが逆流して日本人・大和民族に向けられる形が作られて、そこから精神医学的に日本人を理解するという、戦後の一つの主題が作られるように思う。
有力な大学に研究の伝統が作られ、北大はアイヌの精神病研究が行われ、九大と台北大は九州と台湾について研究する構図ができていた。そこに、やや遅れて入ってきたのが京大である。この論文は、京大精神科の教授・助教授であった三浦百重(みうら・ももしげ)と村上仁(むらかみ・まさし)の共著によるものである。もとになった調査は1942年に彼らが南洋委任統治領に出張した時の観察を根幹にして、1931年に三浦がジャワとマレー半島を旅行した時の古い記憶を回想したうえで、「手元にある僅かの文献を参照してなされたものである」と断ってある。
「南方民族」というのは、もともとは南洋委任統治領(マリアナ、カロリン、マーシャルの三つの群島)と仏領インドシナ、タイ、ビルマ、マレー半島、東インド諸島、フィリピン群島、ニューギニアの大東亜戦争の結果、日本の勢力範囲となった地域の原住民のことであるが、1942年の調査で対象となったのは、ヤップ、ポナペ、サイパン、トラックのみであった。そこで彼らが発見したのは30名の精神異常者で、そこから精神薄弱、外因性てんかん、聾唖をのぞいたのは9名、うち分裂病類似が5名、アモックに似た症状を示す発作性精神病が4名である。梅毒が存在しないので、麻痺性痴呆は見つからなかった。
この調査は、東大チームのアイヌ調査や八丈島調査、九大と台北大の高砂族調査などに比べると、はっきりと貧弱なものである。京大はまだこの方面に向かって離陸してはいなかったのか、それども、南方の調査は、国内や台湾の調査を可能にした行政に頼ることができなかったからか。