アメリカ人類学者の精神医学的日本人論(1945年)

La Barre, Weston, “Some Observations on Character Structure in the Orient”, Psychiatry, vol.8, 1945: 319-342. 「人間に文化と言語の違いがあるからこそ、文化というものが存在し、そこに本質があることを意識したのである」と語る文化人類学者のラ・バルは、第二次世界大戦という戦争を経て、アメリカを含めた文化という現象の本質に迫ろうとするために、日本やドイツの敵国も含めて、アメリカとは大きく異なった文化の心理学的な考察に取り組んだ。1945年に日本論、1946年に中国論を上下で出版している。外国から視た「日本像」の形成にとって重要であったこと、その際に精神医学(主として精神分析)の視点が用いられたこと、それを政治的な問題と結びつけていること。これはまだ予想の段階だけど、土居健郎や小此木圭吾のような戦後に発展した精神医学を媒介にした日本人論の形成に重要な構造を作り出したのかなと私は思っている。 面白い引用を三つ。一つは個人主義への敵意の問題、もう一つは日本人は「歴史上もっとも清潔な民族だろう」という見解、最後に、日本人が自国の達成を傲慢に誇る事例として、日本人は飛行機の発明者であること、サイクロトロンの発明者であること、そして、イエス・キリストは東北で生まれたという説の三つが紹介されていることである。イエス・キリスト東北生誕説というのは、こんなところにも知られたのか。 By contrast, the Japanese pride themselves on their lack of selfish individualism and their willingness to pull together in conformity to the Yamato Spirits. 327 A race which arrogates to itself divine origins into the bargain, must in this circumstance all the more vehemently assert its preeminence. The pretensions become correspondingly grotesque, as when a recent Japanese periodical pictures a cyclotron with its Japanese “inventor”, or when it is blandly claimed that the Japanese invented the airplane. The utmost of absurdity is reached when it is stated that Jesus Christ was born in northern Japan. 331-2. In their persons [the Japanese] are , without any question, the most cleanly of the great peoples of the orient, and very likely one of the most cleanly nations in the history of the world. 333.