『ピエール・リヴィエール』

ミシェル・フーコー編『ピエール・リヴィエールの犯罪 : 狂気と理性』岸田秀・久米博訳(東京:河出書房新社, 1995)よりメモ  「病気中、母の乳房が張って、乳が腐ってしまうので、父は乳首を吸って、毒液を吸いだしては床に吐き出してやりました」 60 「誰かが父に向かって、ただ興奮させるためだけなら、あの女と寝てみたいな、といったことがありました。(中略) 父は母との間に大きないざこざがあって以来、夫婦の行為をずっとしていませんでした。しかし、母を興奮させるためだけでよいので、父は最初の晩か二晩目に試みてみました。妹はそれで、おやまあ、お母さんに何をするの、といったので、父は妹に言いました。ねえ、これはおまえには関係ないんだよ。私は、夫が妻にすることを、おかさんにしているんだから。ああお母さんをそっとしておいてあげて。お母さんはしたくないんだから、と妹がいいました。じゃあ、私もお母さんの好きなようにするよ、と父は答えました。父は母と数晩いっしょに寝ましたが、母は羽ぶとんを父にかけてくれないし、枕には羽根が入っていないし、その他あらゆる意地悪をするので、父は自分から別のベッドに寝るようにしました。そして妹と弟は、それ以来ずっと、母と一緒に寝るようになったのです。」 86-7 「昔はシセラを殺したヤエル、ホロフェルを殺したユデト、マラーを殺害したシャルロット・コルデーなどの女性がいました。今や男性のほうこそ、このような熱狂的行動をとるべきであります。啓蒙の世紀といわれるこのすぐれた世紀において、現在支配しているのは女性であります。あれほど自由と栄光を愛好するように思われるこの国民が女性に服従しているのです。その点で古代ローマ人はずっと文明化しており、ヒュロン族、ホッテントット族、アルゴンキン族など、これら知能の低いと言われる民族でさえ、はるかに文明化しており、彼らはけっして力の値打ちをおろそかにせず、彼らにあっては、命令するのは常に、身体のもっとも強健なものでありました。」 104-5. 「私にとって、すべての裁判官とは反対の考えをもつことや、世間全体と論争するのは大きな栄誉であるとかんがえていました。私は自分を1815年におけるボナパルトのように思い浮かべていました。またこうも考えていました。このボナパルトはみずからの益もない気紛れを満足させるために、何千人もの人を死なせた。そこでもしも私が、父の平安と幸福を乱している母を生かしておくなら、それは正義ではない。今こそ立ち上がるべき好機が到来したのであり、これから自分の名は世にとどろきわたるのであり、死によって私は栄光に包まれ、将来、私の考えは世に入れられ、世は私のために弁護してくれるのだ、と考えたのです。こうして私はあの忌まわしい決心をしたのです。」 105