結核の自宅療養(昭和30年近辺)

中村隆・石戸谷豊「一般療法」砂原茂一他『日本結核全書 第6巻 治療(1)』(東京:金原出版株式会社、克誠堂出版株式会社、1957)、27-115.

戦後まもなくの結核について、「家庭における療養」108-115からメモ

昭和28年度の厚生省全国結核実態調査によると、結核患者総数400万人、うち要治療がc300万人、さらにそのうち要入院が140万人である。一方、全国の結核用のベッド数は17万床しかないから、要入院のうち8割以上が自宅療養していたことになる。しかし、抗結核剤の「輝かしい成果」のせいで、外来で化学療法を受けながら自宅療養することが現実味をもった可能性となり、外国でも導入・確立されるようになった。一方、同じ昭和28年に発表された、約5000人の自宅療養している結核患者を家庭訪問した調査によると、最も多い年齢階層は25歳から29歳、男が56%と多く、同一世帯で2人以上の患者がいるのは25%である。うち家屋に患者の療養の空間のための仕切りがないのが約50%で、化学療法を受けている患者は20%にすぎない。もう一つの別の、より詳細な内情を調べた調査では、患者とその家族は治療の方法を理解しておらず、そもそも治療に関心がない家族、特に家長が多いという。結核の治療の体制は、世帯や家庭という空間に新しい意識をもたらさねばならなかった。

 

 

戦後のこの時期は、結核だけでなく、精神病についても、同じ運動が起きていた時期である。すなわち、厚生省による調査が行われ、精神病院が設立されて、自宅で療養している患者を病院に引き出す潮流が進められていた。砂原は別の書物で結核と精神病を「治らないと考えられていた病気である」という形で同類の現象と考えている。ハンセン病についても、戦前から同じような運動が進行していた。結核、精神病、ハンセン病と、20世紀の中葉に治療や症状を抑える効果が高い薬が作られたことも似ている。しかし、それぞれの疾患の患者数などはだいぶ違っており、100101 くらいのスケールで考えるとよいだろう。それによって、どれだけの収容スペースを作るのかも異なっていた。