放浪する梅毒の乞食芸人という伝承

松尾とし子が故郷で女中に聞いたとしてこのような話を語ったこと。13歳で1923年出版の「ふもれすく」を読んだというから、大正期に聞いた話ということになるだろう。松尾の故郷は佐賀県の武雄で、温泉地であったことに注意しておく。

 

「季子さんね、近頃ゲントクマツという変な名の乞食がおりますよ。それは女をいつも三、四人連れて歩いているんです。皆ゲントクマツの妾ですって。その女たちは女郎あがりで梅毒でしょうか、顔の色が紫色しているんです。手拭をちょこっとかぶって顔をかくしております。村々をお前はその道、お前はこの道、俺はここを行って、どこそこで落ち合うということにしているらしいのです。一軒残さず村中しごいていくんですもの。そしてゲントクマツは物か金を貰ったら、『こなたのお家は金の柱に銀の屋根・・・』とか何とか歌いながら踊るのです。最後にオッパイパイのパイと必ずいいます。物をくれない家には、いろいろ悪口いって最後にたんぼ虫ぐじゃぐじゃといって帰るのです。病気になって売物にならぬ娼婦を集めて一緒に生きていこうという考えでございますね。その最後はどんなふうになるやら・・・」

 

 

松尾とし子『辻潤の思い出』56