今回は、妄想の中身を論じるということをやってみようと思っている。これは、一度やってみたことがあるけれども、方法として難しい。女給になりたいと思っている患者と、女給になった学習院の女学校の生徒について、二つ並べてみただけです。
F0004は34才で鉄道員の妻。夫とともに朝鮮にいたが、昭和14年の4-5月に流産した折に精神病を発病し、昭和15年の3月に単独で帰国して昭和16年の11月まで叔母が住む茨城県の精神病院である毛呂病院に入院した。昭和16年11月24日に王子脳病院に入院。このときに、毛呂病院では特別な治療を受けなかったと言っているが、これは毛呂病院にはまだ最新式の治療法の設備がなかったこと、王子脳病院に入院する目的が当時の先端医療を受けるためであることを示唆している。その言葉を裏書きするかのように、患者は入院するとすぐにインシュリンショックの治療コースを始める。最初の入院では4か月半ほど在院して、病状はあまり改善しなかったが昭和17年の4月11日に退院する。退院時は嬉しそうであったという。しかし、それから2週間もたたない4月23日にまた再入院する。茨城の田舎はいやだからと東京にきて新宿の職業紹介所を訪れるが、そこで騒ぎになって警察に引き渡され、家人が出頭して身元を引き受けてそのまま王子脳病院に再入院させたことになる。二回目の入院でも病状の改善は見られず、日常生活も自分では何もせず、「だらしなく」「ごろごろ」しており、時折、戸やガラスを蹴る、他の患者を蹴る・殴るなどの暴行を行った。また、入院中に体重が急減して、昭和17年の5月には40キロあったのが、18年5月には34.6キロ、昭和19年3月には33キロになり、軽い咳が出ていたことが記されている。総力戦下の精神病院における高い死亡率の原因である結核だったのだろうか。
彼女の妄想は、夫婦関係と性的な要素がある。
「独りのほうが呑気でいい。素敵な人の奥さんにでもなろうと思う。たくさんお小遣いをもらって遊ばしてくれるような人の奥様になろうと思う」(16.12.26 )
「私は貴婦人になろうと思いました」(同)
「病院の派出婦になりたい―女中は如何?―それでもよい、それよりは女給が良い」(17.4.23)
「女給にしてください、顔が整っています」(17.5.14)
「他患者 [ 氏名あり ] の蒲団に入り、抱き付いており、看護婦にみつかるとごめんなさいと自室に入り込む」(17.5.22)
「[廊下で自分のことを自慢して] この人、令夫人でしょうと言いながら、突然、他患者を蹴り飛ばしている」(17.7.21)
特に一貫しているのは、女給になりたいという欲求である。この欲求はくりかえり繰り返し表明される。
永井荷風の『断腸亭日乗』の昭和10年の記事には、ある元帥の孫娘で学習院女学部の女学生が卒業寸前に喫茶店の女給になっていたことが記されている。彼女は2月24日に、卒業を目前にして出奔し、浅草公園の活動館を見歩いたのち、花川戸横町 JLという喫茶店で女給募集の張り紙をみて、その店に住み込む女給となった。もともと、市ヶ谷見附の「紅薔薇」という喫茶店に出入りして色男があった不良学生で、JLにおいても、その色男も訪れたし、客に慣れ、乳や腿を撫でさせたという。この事件は、元帥の関連で、新聞に大々的には報道されなかったという。