1903年の女医論―どんな場に女医が必要か

三宅秀「女医に就て」『医談』no.79, 1, 1903, 1-9.

奨進医会総会席上初演

20世紀以前の医療において、医者に男性が非常に多いのは洋の東西を問わないだろう。なんらかの資格を持つ医者になるのは、圧倒的に男性である時代が長く続いた。中世から初期近代にかけての欧米では、女性が医療職につくことがむしろ難しくなったという断片的な記事も読んだ記憶がある。女性が医療職につくことが可能になったのは欧米では19世紀の中葉・後半からである。日本も事情もタイミングもそれほど変わらず、古代・中世・近世はほとんど女性がおらず、近代に女医が作られるようになるということである。これも漠然とした印象だが、欧米では女医を認めるかどうかについて、既存の男性医師たちから強い反対意見があったが、日本ではそうでもなかったという印象を持っている。

 

事情はよく分からないが、明治36(1903)年に雑誌『医談』で女医の特集があり、その中の一編が三宅秀の講演。三宅は女医に賛成しているが、その理由が面白いのでメモ。

 

女の身体は女でなくては分からない。男性医師だと、女性患者に対して途中に「隔て」があって見通せないことが多いし、真情を察することができない。昔の日本の医学書で女性の病気を論じたものを読むと、滑稽で笑ってしまう。男性医師は女性患者を理解していなかったのである。女性患者も、男性医師に対しては真実のことを言わない。しかし女医であれば女性の体のことを知っているから話が通じやすいし、女性患者も真実を告げる。これを「同情同感」という。

 

どんなタイプの現場に女医がふさわしいか。女性ばかりが集まっている場であり、それも公の性格を持つ場であり、疾病というより検査などの場である。たとえば検疫で女性を検査しなければならない場合、保険で女性を検査しなければならない場合、もちろん、検梅医も女性のほうがいい。女性寄宿舎の医者、女子高の校医、女工たちの医者などに女医がふさわしい。中国・韓国の女性を診断する同仁会のような仕事も、女医を送り込むといいだろう。こういった医者に名人名医が必要なわけではない(おいおい)が、女医がふさわしいのである。

 

とても面白いロジックである。特に後者が、日本社会の近代化にともなって発生した「検査」の場であることが重要であろう。