Marland, Hilary and Jane Adams, “Hydropathy at Home: The Water Cure and Domestic Healing in Mid-Nineteenth-Century Britain”, Bulletin of the History of Medicine, 2009, 83: 499-529.
病院と家庭の間の連関を考えなければならない。特に、戦前日本の精神病院においては、在院期間が短かったから、精神疾患のケアのかなりの部分は家庭において行われており、精神病院と家庭の間のケアを連関させる必要があった。精神病院の診療録の看護日誌の部分は、患者が退院して家庭に帰った時のケアを想定している部分もある。だから、病院と家庭の連関の構造を読み解かなければならない。
同じような病院と家庭の連関は、19世紀のイギリスの水治療法にもあった。水治療法はドイツのプリースニッツが発明し、19世紀前半にイギリスに上陸した。ホメオパシーなどと並ぶ「代替療法」の一つである。代替療法は労働者階級にアピールしたものもあったが、水治療法は中産階級と場合によっては貴族にもアピールした。有名人でいうとダーウィンとテニソン。患者は(その75%が女性であったことも重要である)、病院で治療を受け、自宅にその治療法を持ち帰って実行するという方法を取った。たとえばダーウィンもMalvern で水治療法を受けて、自宅にシャワーなどの水治療法の施設を造った。つまり、ドメスティックな水治療法という文化も作られたのである。そこにはもちろん市場と科学と家庭と女性の力学が働いており、その中で病院の治療法とレジームが家庭に流れる経路が作られたのである。