エリス島の移民管理局の医学

マリオン・コティヤールが主演した映画『エヴァの告白』は、ポーランドからアメリカに移民した女性を描いた作品である。主人公のエヴァポーランド出身の若い娘で、両親を戦争で失って妹と二人でアメリカに移住した。妹の結核が移民管理局で医者に発見されて、妹は入国拒否されてエリス島の病院に収容される。エヴァも送還されそうになるが、NYで劇場を経営する男の情けに頼って入国し、彼の劇場で働くかたわら売春を強制されるという物語である。原題は The Immigrant といい、「移民・結核・売春」というような副題がつきそうな作品である。医学史家はぜひ観るといい。

 

映画を観たあとで Wikipedia Ellis Island がリンクする論文を読んだ。古い作品だが中身もあり内容も面白かったのでまとめる。

 

1891年に移民管理に公衆衛生局が関与することが定められ、1892年から1924年までニューヨーク港のエリス島で移民に対する医学的な検査が行われた。送還率は1914年には最高の2.5%を記録して、総じて移民希望者の1%程度だったというから、医学検査は全体の中で小さなエピソードであったことは間違いない。入国拒否者の中で最も多い理由は医学的な理由であったのは事実だが、医学的な判断は簡単に覆されて入国が認められた。もともと入国審査の大義名分は、職業について自立できるかどうかを判断するということなので、医者の判断が最優先される理由は何一つなかった。医者たちにとっても、この仕事の標準はこころもとなかった。もともと衛生局で医者になりたての若者が送られるポストという性格が強かった。当初は2人の医者が一日に2,000人から5,000人を診て処理したという。試みに計算すると、一日12時間働いたとして、一分に3人半を診るということになる。これは最終的には11人に増員されたが、やはり要求されたのは迅速な検査であった。結核菌の検査、梅毒のワッセルマンなどが充実したが、「スナップショット診断」と呼ばれた、列の中にいる入国希望者の中から「魔法のように」病人を見つける方法がたっとばれた。

 

 

重要なポイントは三つ。一つは、この時期のアメリカの医学は、19世紀の「医学における自由」、あるいは無秩序な百家鳴争状態からようやく抜け出しつつあったこと。その中で、ヨーロッパの正統医学が認めていた細菌論への切り替えが急速に進んだばかりか、公衆衛生局の移民管理に使われたということ。もう一つは、移民局においては、病気を発見することが、医学の専門家が独占する営みになったこと。非医師がどんなに健康だといっても(あるいは「いつも通りだ」といっても)、病気を発見し定義することは医師の仕事であり、それは最後の審判のようなものであった。かつては病気を治すことが医師の主たる仕事であったのが、このエリス島においては、それに代わって病気を発見することが医師の仕事になった。そして、それがアメリカ国民というものを作っていった。