クラインマン「ケアに影響を及ぼす文化的要素」

 

アーサー・クラインマン先生が東京武蔵野病院で行った講演が、『週刊医学界新聞』(3076号 2014年05月19日)に掲載されています。サイトは以下のとおり。

http://www.igaku-shoin.co.jp/paperDetail.do?id=PA03076_01

 

アーサー・クラインマン「ケアに影響を及ぼす文化的要素」(東京武蔵野病院における講演)

 

 

 

ケアをめぐる三つのパラドックス。一つは医療の歴史に関するものであり、従来の医療の中心にはケアがあったが、臨床の中心からケアが乖離してきた点。第二に、医療教育そのものによってケアへの関心が奪われている、つまり、医学部に入学してきた折にはケアに興味を持っていた医学生たちが、卒業するころにはケアに興味をなくしてきているといいう点。第三に、医療改革と医療技術によって、ケアという人間的な行為が衰退している。電子カルテには患者の語りなどを書き込むスペースがないし、より高い治療効果を謳いあげる薬理の強調は、ケアへの注目を衰退させている点。

 

第一の歴史についての点は、歴史学の視点から言うと曖昧な概念に基づいた過度の単純化があり、おそらく政治的・運動的な利用を目的にしているせいだと思うが、もともと医療人類学・医療社会学の目標は医療の改革にあるので、議論の技法だけを取り上げて医学史研究者がうるさく言うのは、双方にとってマイナスにしかならない。何か言うとしたら、改革に係る何かが問題になっている場合だというのが、医学史家が心得るべき教えである。おそらく、医療人類学・医療社会学の側も、現状の改革とは無関係なアカデミズムを志向しがちな医学史家をがまんしてくださっている(笑)第二は、医療の中のさまざまな要素(治療、病理、診断技法、ケア、などなど)の中で較べたときに、ケアへの興味が相対的に減少しているということであれば、それは当然であると思うが、本当にケアへの興味が減少しているとしたら、憂慮するべきことである。第三のパラドクスは、非常に重要な大きな枠を確実に指摘している。制度と技術とイデオロギーのレジームの中に臨床が置かれているため、それによってケアの重要度が変わるという考えである。