昭和戦前期の大阪の女給

大林宗嗣『女給生活の新研究』(1932)『近代婦人問題名著選集 社会問題編 第三巻』五味百合子監修、西村みはる解説(東京:日本図書センター、1983)

カフェーの女給は大正末期から急激に増加した職業婦人の一形態であるが、この論考は昭和5年に大阪で調査して書かれた女給の研究である。調査票を用いた調査で、1万枚ほどの調査票を配布し、回収できたのは2,000件程度である。

 

カフェーの女給には、彼女たちは体の良い売春婦であるという男性側の誤解と期待があったが、彼女たちが「売って」いたのは媚びとエロである。もともとはエプロンをつけて飲み物を客席まで運ぶ仕事であったが、客席に相並んで座って話をしたりサービスをしたりしてチップを貰うという仕事が付け加わった。この商法を発明した大阪のカフェー経営者は、女給のエプロンをやめさせて、メリンスの衣服ではなく錦紗や縮緬を着せて、食糧運搬労働者から新しい職業に転換したと誇った。現在の職業でいうと、「ホステス」と似ているのではないかと思う。

 

詳しい年代や場所は分からないが、このように客の横で発散するエロを商品として売るようになれば、客の男性の側に甘い期待や誤解が生じるのは無理からぬところである。女給が入れられている職業婦人の中のカテゴリーにしても、芸妓、娼妓、酌婦、仲居、旅館女中などと並べられている。その中で、娼妓、芸妓、女給は、目標が性行為なのか、技芸の鑑賞なのか、エロの享受なのかによって使い分けられており、また、金額も違って、女給は比較的安価であるからサラリーマンでも享受できるが、芸妓と一晩を過ごすのはブルジョワジーの独占であるという。

 

「エロを売る」という発想が面白い。これは、性行為やそれに類似した射精にいたるサービスそのものではないが、それと無関係ではない。たしかに、この時期に発明された「エロ」という言葉によって、近代日本の何かが概念化されたのだろうなと思う。

 

「メリンス」と「錦紗・縮緬」を調べたが、メリンスはモスリンで単糸平織とか、錦紗は経糸と緯糸がどうこうと説明されても、その説明がよく分からないのが悲しい。