『水と原生林のはざまで』(1921)

シュヴァイツェル『水と原生林のはざまで』野村實訳(東京:岩波書店、1957)

ポストコロニアリズムの登場で、大きくステータスを下げたのがシュヴァイツァーである。シュヴァイツァーは1875年にアルザス=ロレーヌ地方のカイゼルスブルクで牧師の家に生まれて、神学と哲学と音楽を勉強したのちに、30歳から医学を学び直してアフリカのフランス領赤道アフリカ(現在のガボン)のランバレネで原住民の医療にたずさわった。第一次大戦後の1921年に出版した『水と原生林のはざまで』は、またたく間に国際的なベストセラーになり、1922年には英語とフランス語に翻訳され、1932年には日本語に訳されている。その後シュヴァイツァーはランバレネでの医療活動を続け、1953年にノーベル平和賞を受賞することとなる。1970年代には、課題図書の定番中の定番であり、おそらく上位5位には確実に入るキャラクターだったという印象を持っている。それが、ポストコロニアリズムによって、雑駁な言い方をすると、人間愛は帝国主義に、原住民への医療はボディ・ポリティクスに、睡眠病の治療は開発原病とそのコントロールに読み替えられていった。精神医学の歴史の書き換えが劇的に変動していたころと同じ時代で、私は学部から大学院の学生だった。

 

これは1921年に出版された、シュヴァイツァーが現地から送った報告などをもとにしたものである。久しぶりに読んでみて実感したが、そもそもこの書物が人類愛に満ちた書物であるという解釈が、書物の基本的なポイントを捉えそこなっている。この書物は基本的に、ヨーロッパ人が未開の地に冒険する物語であり、文明を持たない黒人の原住民たちに合理性と正義と健康をもたらす話である。その上で付け加えられるのが、人類愛のストーリーである。人類愛こそが基本だということはもちろん可能だが、記述の分量でいうと、冒険と文明の話のほうがはるかに多い。その上で言うと、シュヴァイツァーの人類愛はうつましく美しく、人の胸を打つものであることも間違いない。

太陽こそが敵であるという思想。朝日や夕日も恐ろしいこと。帽子を被らないで戸外を2,3メートル歩くと高熱で日射病になること。日射病になるとマラリア熱の症状が出ること。土人は新たに持ち込まれた火酒を飲み、自らを滅ぼしていること。「火酒はすべての事業の敵」であること。(この火酒は、禁酒法時代のアメリカ商人が売っていると示唆されているが、具体的にはなんだろう)原住民が作る椰子酒は基本OKであること。しかし強烈な刺激剤を入れて酩酊すること。ランバレネの最初の診療では、助手は調理人の原住民を使い、彼はフランス語ができたため、患者の訴えをフランス語でドクトルに知らせた。その時に、この患者はフィレットに痛みがありますとか、腿肉の病気ですというように、料理用語で医学症状を言う。私たちが医者に行って、「ハツとレバーとタンの病気です」というようなものだろうか。多い病気は皮膚潰瘍、マラリア、もちろん睡眠病。患者はすべてを虫のせいにする記述が面白い。聴診器で患者の病気を皆知っているので非常に尊敬される。精神病についての細かく素晴らしい記述がある。現地住民は精神病の患者を殺してしまうことがある。植物の汁を飲ませて精神異常をもたらすこともある。土人は植物の葉や根を用いると、飢えも渇きも疲れも憶えずに、最高の気分で仕事をすることができるという、覚せい剤ヒロポン)の原型を求めようとしている。開頭術は頭蓋骨を呪物として得るための手法であると考えている。南アメリカからノミなどの虫がやってきたこと。なぜかわからないが、中央アフリカにはヘルニアが多いこと。