ハンセン病・ハンセン病患者を意味する英語の leper という単語には、医学的な意味と社会的な意味が併存している。I am a leperというと、「私は医学的にハンセン病と診断された」という意味にもなるし、「私は嫌われ者、厄介者、鼻つまみ者である」という社会的な意味の自虐にもなる。後者は、中世ヨーロッパにおいて差別され隔離され権利を奪われ恐れられていたという事実から生じた意味である。この二つの意味の併存を利用して、医者がある若者を自殺に追い込むトリックを用いた短編推理小説が、アガサ・クリスティ『ポワロの事件簿』に収載されている「エジプト王墳墓の冒険」である。単行本としては1924年に刊行されていて、当時大変な話題になっていたカーナボン卿のツタンカーメン王の墳墓の発掘に関連させた内容になっている。ヨーロッパではハンセン病は近世初頭にほとんど消滅し、帝国主義が明るみに出した非文明国の象徴となっていた時期であること。その中で、帝国主義の成功と上昇と文明化の経路から外れてしまい、尾羽打ち枯らした「白人ルンペン」の若者が、南洋諸島でハンセン病に罹患したと思い込まされるストーリーである。よかれあしかれ、クリスティーは同時代の複雑なステレオタイプを凝縮して自然なストーリーを作ることが多いと感心する。学部1・2年生を念頭に、ハンセン病の歴史の授業のイントロダクションの候補としてスライドを作っておこう。
面白いのは、意味をチェックするためにOEDを引いた時のことである。「ハンセン病に罹患した患者」と「鼻つまみ者」という意味は、我々は二つの意味だと考える。もちろん、ネットで現在アクセスできるOEDでも、これは「ハンセン病の患者」の意味と、そこから比喩的に発展した「嫌われ者」という意味の、二つの項目で取り上げている。ところが、古いOEDでは、これは二つの別の項目というより、一つの意義の中での比喩的な発展という形で分けて記述してある。これは19世紀の末から刊行されて1928年に完成したもので、ちょうどクリスティーの短編が書かれたころである。
もっと面白いのは、2009年に刊行されたOEDの第4版のCD-ROM版をみたら、実はここでも二つの意味として取っていなかったことである。用例などは新しくなっているが、語義の説明としては初版と同じで、「ハンセン病患者」と「嫌われ者」は、一つの語義の中での比喩的な発展として取り扱われている。まるで、「ハンセン病患者」という医学的な意味から、「嫌われ者」という社会的な意味が、自然に現れているような口ぶりであると批判されても仕方がない、というか、批判されるべきであろう。
たぶん、誰かが気がついて、オクスフォードに投書したのだろう。そして、的確な批判と指摘であるから、オクスフォードが改訂して、現在のネット上の形になったのだろう。そんなことを想像した少し明るい気分になった日曜の朝。