Mohr, James C., Plague and Fire: Battleing Black Deatg and the 1900
Curning of Honolulu’s Chinatown (Oxford: Oxford University Press, 2005).
19世紀末から20世紀中葉のペストの流行は、主にインドと中国で大きな被害を出したが、小規模・中規模な被害は世界各地に出ている。日本でも大阪と神戸を中心に、合計で3000人ほどの患者(うち死者2500人)という中規模な被害が出ている。1899年にハワイのホノルルで始まった流行は、チャイナタウンを中心に被害が出て、死者は数十人という小規模な流行であったが、ペストよりもその対策に端を発した大火がかえって被害を大きくするという皮肉なことになった。1900年の1月に、年越しで患者が出続けている感染拡大を防ぐために、チャイナタウンの一区画を焼却したときに、突然の強風により火が燃え広がってホノルル市のチャイナタウンと日本人町が全焼するほどの大火となった。患者を続々と出すチャイナタウンを大規模に焼却して、ペストを根こそぎにしようと主張していた白人の商人たちの主張が、はからずも実現されることとなった。この様子を丁寧に吟味した研究書がこの書物である。
防疫のために街のある区画を焼却する方法について。この手法がいつどこで現れたのか、ちょっと私の頭の中で判然としない。感染症の勉強をしたのは10年ほど前で、色々なことをきれいに忘れてしまった。あえて曖昧な記憶を書いてみると、あれは19世紀末の香港だっただろうか、ペストが街の一角に流行して、そこに居座る見込みが出てきたときに、その区画に火を放って焼却するという処置が行われたと記憶している。あと、日本の大阪や東京でも、コレラの流行に際して、スラム街が防疫の目的ということで焼却されたことがあったような気がしている。忘れてしまうというのは恐ろしいことだなあと実感している。
話をもどして、焼却について。この発想は、医学と社会の双方にまたがったものである。医学的にはネズミ・ノミ・ヒトという感染のサイクルが明らかにされて、家や街に住み着いているネズミに標的を絞る防疫対策が目指されたこと。社会的というのは、そのネズミが住んでいる街の区画と、その街に住んでいるものたちに対する社会的文化的な位置づけである。その街の区画が貧困や犯罪の巣窟であると考えられていたこと、防疫上の必要と秤にかけたときに、住民が財産に対して持っている権利がどの程度守られるべきかという位置づけの問題である。このホノルルの事例については、中国人、そして日本人という移民に向けられた人種差別の問題である。なお、衛生法についても、その実施が屈辱的なものである場合もあり、写真は、同時期のホノルルにおける日本人に対して行われた消毒法である。多少の塀のようなものはあるが、人目にさらされる場所で全裸になって消毒しなければならない衛生法であった。これについては、日本人会も強く抗議しているという。