Older, Priscilla, “Patient Libraries in Hospitals for the Insane in the United States, 1810-1861”, Libraries & Culture, vol.23, no.3, 1991: 511-531.
イギリス、アメリカ、フランス、ドイツなどでは、19世紀の初頭・中葉から、新しい理念に基づいた精神病院が数多く建設された。それまでの隔離収容が目標の施設ではなく、人道主義の理想に基づき、モラル・トリートメントによって治療できると信じるオプティミズムに駆動された運動である。この時期から19世紀の末にかけて、精神病院が最も高く評価された「精神病院の黄金時代」を迎える。これは高く評価されたという意味で、現実に優れていたかどうかは全く別の話であるから注意すること。しかし、色々と考えると、この時期の精神病院が現実に黄金時代かもしれないが、おそらくまだ研究がない。また、日本への精神病院の導入は20世紀の初期で、この黄金時代が過ぎ去ろうとしていた時期であったことも、心にとめておくといい。
1810年から南北戦争の前までの精神病院について、その患者用の図書室を調べた論文である。ほとんどの精神病院は何らかの形の図書室を少なくとも一つは持っていた。病状が軽い患者や、入院して改善した患者に対して、読書が症状を改善し、生活に規律と質をもたらすだろうというモラル・トリートメントの思想である。患者がどの程度「良くふるまうか」「悪くふるまうか」によって、その患者に特権を与えたり奪ったりして、賞与と処罰のシステムの中に入れることが精神病院の重要な機能の一つであったから、図書館で本を読む自由を与えることもその中で作られた。また、それぞれの精神病院間の競争という意味もあった。当時多数作られていた精神病院の院長たちは、相互の病院を訪問したり報告書などを送ったりして、他の院長の精神病院の様子を強く意識していたため、その意識の中で図書館が作られた。
書物として何が揃えられたのかということは重要な問題だが、この論文ではあまり論じられていない。他の論文と合わせて考えると、病院が揃えたい本と患者に人気がある本はやはり違い、病院は高尚な詩作や評価が高い小説を、患者は絵入り新聞を読みたかったようである。
患者の読書は「読書会」という形式をとったこと。マトロンが司会者だったというから、これは女性向けであること、ドロセア・ディックスが精神病院の改革運動の中で図書室の設立を助けたこと、新聞や日曜の絵入り新聞が人気があったこと(患者の階級の問題だろう)、男女の図書室の利用は別にされ、一つしかスペースがないときには、午前中に女性患者、午後に男性患者というように分けられたこと。このあたりを憶えておこう。