福澤諭吉の漢詩「医師に贈る」

『福澤研究センター通信』22号(2015年3月31日)に、福澤が門下生に贈った漢詩があり、それが医師に贈るという内容だったのでメモ。

 

門下生は奥山春枝という人物である。明治26年に卒業し、職業は銀行の資産運用業として近代日本の経済界で活躍したとのこと。その人物になぜ「医師に贈る」という漢詩を送ったのかよく分からない。離婁は「りろう」と読み、中国の古代の伝説上の人物。視力にすぐれ、百歩離れて毛の先を視ることができたという。麻姑は「まこ」と読み、伝説上の仙女。爪が長く、背中を掻いてもらうと気持ちいいということを主題にした説話がある。「孫の手」はこれが起源であろうと言われている。

 

福澤がここで勧めている医療の理想が、非常にアクティヴなものであることが面白い。「医師は、自分は自然の臣下にすぎないなどと言ってはいけない」というセリフは、西洋でも東洋でも日本でもいいが、どのような医者の口から出て来るのだろうか。私の印象で言うと、その数はそれほど多くないような気がする。そのような医者から直接あるいは間接に、福澤が医学の思想と理想を学び、それをここで使ったのだろうか。それとも、ここで医師と言われているものは、何かの喩えなのだろうか。

 

以下に引用

 

福澤諭吉の医師に贈る漢詩

 

無限輪X天又人

医師休道自然臣

離婁明視麻姑手

々段達辺唯是真

 

贈医 三十一谷人 福澤諭吉

 

(Xの部分は、難しい漢字で、まだ読めていません)

 

医師に贈る 医学は自然のはたらきと人間の知恵との限りない勝ち負けの争いである。医師は、自分は自然の臣下にすぎないなどと言ってはいけない。離婁のように病巣を見抜く鋭い眼力と、麻姑の手がかゆいところに届くような懇切な手当で、ありとあらゆる手だてを尽くして病と闘うところに医術の真骨頂があるのだ。

 

金文京『福澤諭吉事典』706ページ、『福澤研究センター通信』22号2015年3月31日発行