江戸の医者における異なった格―三田村鳶魚より

江戸時代の医者、あるいは江戸の医者には、さまざまな格の違いが存在した。上からいうと、将軍の侍医である奥医者、将軍に謁見できるお目見え医者、患者の家に往診するときに長棒の籠に乗る乗物医者、最後が歩いて患家に行く徒歩医者(かちいしゃ)である。この違いが何の違いと言えるのか、私にはよくわからない。「異なった格」「格の違い」と書いたのは、私自身が憶えるためである。顧客は誰か、営業形態はどのように違うのかという問題もあるし、お目見え医者が患家に向かう時には、大名の行列にあっても下座しなくてよいという身分を超えた特権を認められていたという違いもある。

ついでにいうと、診療代や、その他の代金も異なっていた。その他の代金は「仕度料」と記されている。これは、徒歩医者においては安く、乗物医者においては高い。(おそらく、お目見え医者や奥医者はさらに高いのだろうと思う)乗物医師のほうが格が高い医療だから、価格も高くなるというのはある意味で当たり前である。ただ、それならどの医者も乗物医者になりたかったというと、乗物医者になると単価が高くなるが患者の数は減るので危険が大きな選択だったという記述がある。

仕度料は、かなり大きなものであった。奥医者になると、薬箱持、挟箱持、草履取りなど、10人ほどのお供を連れて患家に行った。このお供のものすべてに食事や酒を出す礼儀が患家にはある。これは、現実に食事などを出すより、食事などのお代を人数分渡すということになる。だから、知人の医者と一緒に悪ふざけをして、病気になった友人の家に格が高い医者の往診と称して訪れ、膨大な仕度料を請求するというエピソードもあるとのこと。

最後に、この話を覚えやすくするために。昭和期になっても医師に渡していた「車代」というのは、その言葉がいつ発生したのかは知らないが、この仕度料が変化したものである。実際、車代というのは本気で高価であるケースがある。

個人的なこと。これは、記憶力の老化を防止するために、前の晩に読んだ内容を翌朝思い出して書いた記事である。できれば毎日このようなことをしよう。文献は三田村鳶魚『鳶魚江戸文庫 24 泥棒の話 お医者様の話』(中公文庫)からである。