種子島の伝統(日本野鳥の会の会誌より)

日本野鳥の会の会誌『野鳥』の今月の特集は種子島。もちろん鳥や生態系の話題が中心だが、種子島郷土史家の鮫島安豊の「種子島の歴史・民俗」という文章も掲載している。生態系の話と歴史が共存し合体していくのは、非常にいい傾向だと思う。たしかにこの文章は種子島の鳥とはほぼまったく関係ないが(笑)、でも、こういう記事が野鳥の会の雑誌に掲載されているのは、正直、嬉しいことである。野鳥の会も、もちろん鳥を偏愛する態度をキープしていいのだけれどお、それと並行して、郷土史の話を載せるようになるあたり、いいことだなと思う。
 
種子島は1543年に鉄砲が伝来したが、これは僻遠地への伝来ではなく、即座に国産化と量産に成功し、しかもすぐに堺などにもたらされて全国の戦国大名らが存在を知り入手するようになった。種子島に、それ以前から鉄砲を生産するのに必要な技術をそれを支える文化があったからに他ならない。この伝統は古代にまで遡るもので、種子島は遣唐船や遣明船などの寄港地であり、中世期から近世期には、琉球、南蛮、明などの地域から文物を摂取することを目指した諸大名たちは、頻繁に交易をおこない、その中継基地として種子島は発展してきた。これも古代からの伝統であるが 刀鍛冶が種子島に移住したうえに(これは流刑の場合もあった)、種子島の海浜に存在する浜砂鉄が刀鍛冶の重要な背景となっていた。