安政のコレラ流行の時には、諸外国からコレラの治療法についての助言があったが、これはフランスのラフラス船号の第三等医師、アンスリンによる処方。「三宅医学博士の家に蔵せられる」と説明されているので、東大教授の三宅秀(1848-1938) の家蔵の史料で、おそらく三宅秀の父の三宅艮斎(みやけ ごんさい 1817-1868)が入手したものだろう。艮斎は幕末に蘭学を学び、東大医学部の前身と言われるお玉が池種痘所の開設にも力を尽くした。フランスの医師からどうやって処方を得て、どのように解釈したのか、面白い史料だが、私にはそれを読み解く力と素養はない。
電光病の名を命せし急劇症は次章に述る症を顕す。嘔吐泄瀉数回にして益甚しく益多し。飲液は少間にして忽ち帯黄白色の粘稠物も雑え下り、その後の瀉液に於ては全く米湯の如くにして男精の如き臭あり。これ血液中の「ヲトリース」及び「ラムフリース」を輸出し雑るなり。
話は、血液の中に「ヲトリース」と「ラムフリース」があり、それがコレラの下痢に混じって、それが男子の精液のような臭いがするということだろう。(もし、この段階で間違っていたら、教えてください) というと、ヲトリースとラムフリースというのはなんだろうという疑問になる。もとがフランス語だからなのか、それとも私の無知なのか、頭の中に手掛かりを作ることができない。もちろん自分で調べてみますが、正解やヒントを頂ければ。