新刊書 20世紀前半のドイツ映画と精神医学など + 日本の問題に関するメモ 

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新刊研究書のお知らせ。紹介によれば、20世紀前半のドイツの映画と人間科学(精神医学、神経学、セクソロジー、優生学産業心理学)の関係を論じた書物。映画は、これまでの文化が崩壊したあとの空白を埋めるなどの重要な役割を果たし、また、ドイツは過去と戦争と近代化に伴う問題を、人間科学の枠組みで理解しようとしていた。この両者の連結と相互に影響を与え合う仕方が、ドイツにとって重要になっていた、とのこと。7,000円と超高価だが、ここは踏ん張って買っておいた。
 
映画・映像と精神医療や心理学、そして国家との関係は重要である。私が今書いている著作では必ずしもこの主題を取りあげないが、重要なカギになる現象は非常に多い。ドイツの映画『カリガリ博士』は上映されて非常に大きな評判をとった。映画監督衣笠貞之助の映画『狂った一頁』(1926) は、精神病院を舞台にした映画である。また、文学作品である『ドグラ・マグラ』にも映像の仕掛けがある。九大精神科の正木教授が開設した「狂人解放治療場」の「天然色、浮出し、発声映画」の部分では、映画のスクリプトのように物語が幾つかに分かれて流れ、精神病患者の個人ごとの紹介をする部分、正木教授が自説を展開する部分、主人公である実母と許嫁の殺人犯である呉一郎の顔面の骨相学的な説明をする部分、死体解剖室で若林教授が呉一郎の許嫁の呉モヨ子の盛装した死体を検分している場面と、ストーリーが進行している。
 
一方で、日本の精神医学や精神医療、あるいは産業心理学の脈絡においても、患者や実験の映像が作成され、用いられていたことは確かである。ただ、私自身はそのような映像を一度もみたことがない。これは、私の研究能力が低いことと、そのような研究のリソースを見やすいものにする仕組みが日本では確立していないせいである。しかし、どこそこでかくかくしかじかの映像があるという情報はあちこちから上がってきている。このような映像を歴史学者やそれぞれの領域の研究者たちが見ることができるようになるであろう。大規模な精神病院や大学の精神科病院などもそうであるが、大企業と関連する産業心理学の領域でも、このような映像が管理の効率化に向けて用いられていた。この問題は、拙稿「災害予防と心理学的類型-20世紀前半の日本を中心に」橋本毅彦編『安全基準はどのようにできてきたか』(東京:東大出版会、2017)、209-232. で素描的に論じた。
 

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