戦前と戦後の医学研究の短期的な格差

石橋卯吉・村野廉一「健康人ノぢふてりー保菌率ニ関スル研究」『日本微生物学病理学雑誌』31(1), 1937, 99-103.  
 
伊與雄二「蠅の保菌数に関する研究」『十全医学会雑誌』52(4、5、6)、1950、29-37.
 
日本の細菌学に関する研究をしているせいで、731部隊に関連する旧帝大などのエリート医学教授たちとよく出会う。それほど大きな資金が投入され、集中力がある総力戦が医学を含めて実行されていたということだと思う。もう一つ、改めて気がついたのが、戦後に、日本の医学研究がさまざまなリソースを一気に失った時期に、どんな研究が出てきたかを示す論文。読みながら、なんだこの論文は、お前ふざけるなと思ったくらいの、みじめな質の論文だった。
 
神奈川県逗子町小学校の1年から6年まで1750名。住居が葉山御用邸付近なので、じふてりーの予防接種をしていた。陽性者は2名、陽性率は0.11%  ちなみにこの論文は、神奈川県立第二衛生試験場 所長は渡邉邉(?) 石橋卯吉は慶応卒で応召のあと戦後には厚生省に入って防疫に活躍した。この論文を京大の木村が見たというが、731で有名な病理学の木村簾だろう。 
 
戦後の論文は、蠅の保菌数の季節的な消長、地域別並びに職業別による保菌数。季節でいうと最高は7月。地域で言うと、ダントツ1位が金沢駅で一匹あたり1億2300万個の菌、2位が近江町市場の4,000万、3位が兼六公園の1,800万。職業でいうと、ダントツ1位が魚屋で1億3600万、2位が八百屋で5,100万、最下位で最も清潔なのが酒屋の470万。「なんだこのふざけた論文は」というのが正直な印象である。金沢医科大学(現在の金沢大学医学部)の細菌学教室の学生の研究だが、実験が非常に貧しい。蠅をつかまえてきて、ちょっと洗って砕いてブドウ糖寒天をそそいて発生した菌の聚落数を算定して、それから保菌数を計算するというもの。よく分からないが、昭和22年に発表された論文だからなのかと思う。戦前の論文と較べると、原始的な実験になった。まるで逆方向のタイムスリップが起きたかのような印象を受ける。石川県は空襲の被害はほとんどなかったらしいが、科学実験をするのには、色々なものが必要なんだろうと実感する。ただ、他の論文を読むと、1950年ごろには、かなり復興しているから、総力戦のマイナス影響のある部分に関しては、短期的なロスだったのかと思う。