感染症かるた―黄熱病はなぜ「う」なのか

しばらく前に出したクイズ。感染症かるたの「黄熱病」は、絵が野口英世で取り字は「う」になっている。それはなぜか。正解を解説します。
 
黄熱病と聞いて野口英世の名前を思い出すのは日本だけである。野口の黄熱病の病原体発見はそもそも失敗したし、それも完全に見当違いの方法で失敗した。黄熱病の病原体について、世界の多くの研究者たちの間ではウィルスではないかという方向が確立していた時に、「いや、梅毒のスピロヘータの仲間だ」という当時の基準で言って無理がある仮説に従ったプロジェクトだった。このあたりのことは、私が読んだ範囲では筑波常治先生の『野口英世ー名声に生き抜いた生涯』が情け容赦なく書いている。ただ、野口には梅毒菌が きわめて重篤な精神病の進行麻痺(GPI) の原因であることを実証したという輝かしい業績があることも付言しておく。
 
黄熱病について野口英世よりもはるかに有名なのは人体実験である。アメリカの軍医が1900年に、ハバナの地域で、志願者を二つにわけてキャンプ・ラザアという小屋にいれ、片方を不潔だけれども蚊(ネッタイシマカ)がいない部分に、もう片方を清潔だけれども蚊がいる部分に入れた。黄熱病の患者が出たのは後者だけで、この実験で、黄熱病は蚊が媒介することを証明した。この軍医の名前がウォルター・リード (1851-1902)である。
 
それがわかれば、黄熱病の取り字がなぜ「う」であるかわかると思う。読み札はこのようになっている。
 
ウォルター・リード 蚊を駆除して パナマ運河建設成功 野口英世も黄熱を研究
 
というわけで、黄熱病の取り字は、ウォルター・リードの「う」でした。
 
ただ、この読み札自体も少しおかしくて、リードが死んだのは1902年、パナマ運河が完成したのは1914年、アメリカがフランスから引き継いだのも1904年である。まあ、そのあたりはやんわりと考えてください(笑)