幸田露伴が若き日に名声を確立した小説が「対髑髏」である。1890年(明治23年)に刊行されて、全集の第一巻に収められている。文章、漢字、成句などが超絶的に難しいが、実際に名作であるし、ふりがなが大いに助けになる。医学史としても非常に面白い主題で、性、妄想と精神疾患、ハンセン病の三つの主題が取り上げられている。ごく短い形だが、今書いている書物の第一章の背景で軽く触れるだろう。以下では内容に触れている。
二重の妄想を組み合わせていて、ある旅行中の男が妄想を見て、その妄想の中で女が彼女の妄想を語るという仕掛けになっている。男が病となって中禅寺の奥の白根嶽に滞在してそれを平癒させる。それから上野から下野に山を越えていき、地元の人間に案内してもらい、国別れの場所で分かれて、谷沿いに四里ほど下ると小川村があるといわれる。男は少し迷ってしまい、夕刻に民家に泊まることになる。その小家では24,5歳の美しい女が一人で住んでおり、男を風呂に入れ、食事を出し、着物をつくろい、最後にはこの家は一人住まいなので寝具は一組しかなく、そこで一緒に寝ようといって男の手を握る。男はこの女は妖怪かもしれないと考え、誘いを必死でしりぞけて断る。この部分は性の議論が美しく展開されている箇所である。女はそれに対して、私の人生を語ろうといって、東京の富裕な家に生まれたこと、彼女が10代の時期に父親と母親が病死したこと、一人になった彼女に恋をした男たちが無数に現れ、うち一人の貴族でドイツの学位を取った官僚が彼女に恋をしたことなどを語る。しかしその若者の恋が成就せず、彼は死んでしまい、女が一念発起して、浮世を捨て、この山奥で坐禅をすることにしたことなどを語る。
ここからが医学史家にとっては大事な展開である。男がふと気がつくと女も家も消え、白い髑髏があるだけである。男は小川村に行き、温泉宿にとまって主人に話を聞いてみたところ、その髑髏は精神病とハンセン病をわずらった一人の女のものだろうという。しばらく前に、狂女で癩病病みが山の中に消えていったという。恰好が乞食のようであり、襤褸をまとい、足は裸足で、杖をついていること。身体は病にさいなまれた状態で、ハンセン病が念頭におかれているのだろう。手足の指はみにくく曲がり、何本もの指は消失しており、身体の色は薄黒赤く紫になって光る部分もあり、顔は恐ろしい獅子のように孔があき膿汁が流れ、髪の毛はすべて落ちている。それに精神病がかさなり、言葉は意味不明であるし、道端の石や樹を打ちたたいては狂いまわって、狂いながら山奥に入っていったという。この部分で、女の精神疾患とハンセン病、そして女と男の妄想が語られる場面である。
全体としてネガティヴな記述であるが、色々と面白い部分があり、それに短くコンパクトにしかし面白そうに言及する方法を考えよう。