昭和16年から17年の女学校におけるヒステリーの流行

今日はロンドンからいらした先生とお昼を食べながら、国際共同研究のお話をした。数日前に廣川さんに教えられた文献である村中璃子さんの『10万個の子宮』という非常に面白い本を読んでおいたこともあり、その先生と子宮頸がんの副反応の問題、思春期の女性の「ヒステリー」の問題などの話をすることができて楽しかった。ちなみに、その先生は村中さんが2017年の John Maddox Prize を受賞したことを論ずるガーディアンで登場した先生である。

その関連で、しばらく前に読んで印象的だった、昭和16年から17年の東京の女学校におけるヒステリーの流行記事を思い出したのでPDFを取り出して読んでみた。佐藤亨「『ヒステリー』の流行性発生に就いて」『順天堂医事研究会雑誌』no.589(1943), 19-29.  これよりも本格的な論文が準備されていて、おそらく刊行されているが、それは私はまだ読んでいない。

事件の中心は、東京の女学校で15人の女学生がヒステリーを流行させて起こしたことである。昭和16年の6月に2例、昭和17年の2月に集中して12例、3月に1例が起きている。14例が4年4組と4年5組の二つのクラスに集中している。この女学生たちを調べて理解しようとしている報告である。一人っ子もいたし、父母に溺愛されていたものも複数いたし、結核ではないかということを家族が恐れている例もあった。寝物語に祖母に怪談を聴かされて、それを好んでいたというお決まりの変態もいた(笑)座席を見ると、教室に散っていた左側の4年4組もいるし、集中していた4年5組もいた。

もう一つ。ヒステリーなどほとんどいなかった1組、2組、3組は普通の家庭の主婦を目指し、4組と5組は「理科的な方面乃至は専門学校の入学を目標として教育されている」という記述が入っているということは、女学生は主婦を目指すのが健康であり、理科や専門科目を勉強するとヒステリーになるという記述があるのかなと思う。

 

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