少し前のメモの『封神演義』を少し読んで見た。おそらく明代の中国で書かれた神話と歴史の融合のような物語。日本ではあまり知られていないし、私は数か月前に初めて聞いた物語である(無知でごめんなさい)。中国では非常に良く知られた神話であるとのこと。ただ、西遊記や三国志のような大作ではないとのこと。
章立ての目次をぱらぱら見ていると、天然痘が描かれていそうな章があった。私が見ていた丸善の eMaruzen の4巻本の81章である。なかなか楽しい話だったのでメモを取ろうとしたら、読み時間が5分を超えたのでリクエストをしなければ読めなくなった。仕方がないのでアマゾンの Kindle で無料で読めるヴァージョンを読んでメモを取った。それは抄訳なので48章になっている。部分的にしか読んでいないので、わかっていないことも多いが、面白い部分もあった。
基本は周と紂王との戦争だと思う。紂王側の余化竜という人物が5人の若い息子を持ち、彼らの闘いで周の攻撃をはねかえしている。この5人の兄弟のうち、最も若いのが余徳という人物である。彼は道士であり妖術使いである。父の傷を丹薬を水で溶いて傷に塗り付けて治し、兄の余先の傷も治している。自分も戦争で傷を負うが、薬を飲んでなおした。そして、兄上たちに今夜に身を清めるように言い、術を使って周の兵士を7日間で滅ぼすという。その術というのが天然痘であり、その流行病を周の将軍や兵士の間に流行させることである。
余徳は、夜中の一更に、青・黄・赤・白・黒の5枚の正方形の布を取り出し、地面に広げる。さらに、五つの小さな斗(ます)を取り出して、兄弟5人が1つずつ持つ。そして、これらを持って、雲の上に乗り、空中から斗の中のものを周の陣地へとまきちらす。斗の中に入っていたものは、天然痘や種痘など、体に豆のようなぶつぶつができる病気の病原菌である。これを夜間に空からまいて、四更になると関に引き上げた。
周の陣地には、指導者である子牙や武王も、60万人すべてに、発熱と体が痛むことが発生した。三日たつと体中にぶつぶつができて、動けるものはなくなった。子牙にとっては、これは七死三災の最後らしい。そこに玉鼎真人という人物がきて、別の指導者に命じて天国の近くの仙境にいき、伏羲と神農などにあってお助けを願う。神農が、これは痘疹という伝染病である、それを直すために三粒の丹薬をさずけよう、その一粒が武王を、もう一粒が子牙を、そして最後の一粒が60万人を救うだろうという。これが実現し、全滅させたと思い込んでいた父親と余兄弟は闘いでみな戦死したという。
面白いところがとてもたくさんある。一つだけ上げると、戦争と感染症の共存というと、我々はまずトゥキディデースの歴史のアテネでの感染症を考える。中国でも、神話や物語でいうと、そのような扱いがあったことがよくわかる。