江戸の武士と商人と売薬

吉岡信. 江戸の生薬屋. 青蛙房, 1994.
 
歴史学や医学史の学術性や方法論で言うと、正しいかどうかはまったく別にして、とても面白い議論である。武士の力と商人の道という二つの枠組みで江戸時代(徳川時代?)の薬の発展を説明している。
 
武士に関しては、家康が始めて、その後も多くの大名や旗本が従った薬への興味が上げられる。一つは、この時期に武家が確立した医学や薬に関する好奇心が基礎になる。徳川家康もそうであるし、多くの大名が徳川時代を通じて、薬や博物学に興味を表現していた。「武士」であるのに、250年ほどの平和な期間をキープしたことの重要な要素である。
 
これと並行して、薬を入手したり、売薬の形で市場を用いて購入できることとなった。入手では、特に農村部で多く、植物を手に入れて少し加工する、うどんの粉を焼き付けるなどができる。
 
一方、商人たちは、京都、大阪、江戸などで薬を売ることとなった。そこで高価な薬が実は偽なのに売られ、それが死刑によって処罰されるということも起きる。しかし、商人たちは、心学を学び、武士による支配と併存しながら、大きな利益を得ることを目標にする。
 
山東京伝曲亭馬琴式亭三馬らは、成功した浮世絵師、戯作家、読本作者、地本問屋であり、同時に薬を売っていた。山崎美成も薬を売っていた博識者で、馬琴らと、そば屋で出会う「けんどん」は「慳貪」なのか「巻飩」なのかで論争したりした。ここも面白いけれども、この問題に関しては、ヤングさんがプリンストンの博士論文できちんとした分析を書いていたから、もう一度それを読もう。 
 
管理する人、売る人たちについては、江戸時代の大きな枠組みが書けるようになってきた。江戸期の患者については、力が足りないだろうから、どこかでパラグラフを作って処理しよう。