幕末百話・明治百話

幕末百話と明治百話。もう一度読み直してメモ。狐に憑かれた状態を偽装する人物、強盗医師が赤膏を置き土産にする話、看護婦じゃなくて家族親族でしょうという議論。憶えておきましょう。

 

篠田, 鉱造. 幕末百話. 増補 edition, vol. 青469-1, 岩波書店, 1996. 岩波文庫.
 
近世名優病気の田之助
三世沢村田之助、どなたもご存知のように、終わりはダッソで手足もなくなった。彼の病中の看護をしている様子をよく知っている。舞台で足の先を殴り、それがずっとズンズン痛い。さる御殿医に見てもらい、これは越後奥州地方にはあるが珍しい病気、ダッソだから打っちゃってはおかれぬ。といって私が療治はしていられるので、佐倉に行けと言われ、佐倉の医者に見せると、横浜のヘボンに切ってもらえということになった。そこで、麻酔薬で眠らせて、脚をまくり、下から切皮をタルマしておいて、骨を鋸でガリガリと切った。それから役者に帰ったが、大阪の上演などをしたが、だめになってしまった。 28-31
 
狐つきのお話 神田の能勢様
私は天保銭。丸年生まれで本年73歳。私20歳の頃は嘉永2年で狐つきというものが多く、神田和泉町の4000石の旗本の能勢熊之助さまが狐憑きを落としてくれた。私は不良になって吉原に行ったりしていて、女郎のウソと空財布、家へは帰れない、腹は減る、寒くはなる。そこでふとまた狐憑きのことを思い出して、「練堀町周辺で草鞋を十二、三腰へ提げ」、スッカリ化けていると、たちまち人の告げたものか、両親がやってきて、狐落としにつれていかれそうになった。そこで能勢様に連れていかれ、二つ三つ殴られて、立派な侍が出てきて「この仁は狐憑きでも発狂でもない」と言われた。図星を突かれ、はっと赤面して、そこも赤面していると指摘された。いたたまれず、脱出して、下野日光に4年間逃げていた。 102-104
 
探偵実話強盗医者 
日本橋にいた岡田さんが医者であったが上総房州に行くと盗賊であった。結局それが明らかになって芝白金で御町方の手に押さえられた。その捕り方に向かったのは秀さんの父で、慈悲があったのでいたわった。岡田はそれに感謝を示すために出したのが、家伝の妙薬であった。そこで教えてくれたのが「赤膏」といって、傷、しもやけなどによい薬だったそうで、売りだしたら相応の収入があったとのこと。
 
 
篠田, 鉱造. 明治百話. vol. 青(33)-469-2,3, 岩波書店, 1996. 岩波文庫.
 
上巻
 
日本看護婦の嚆矢 
明治16年に女宣教師ジョン・バラ夫人が横浜で病気になられた。夫人が看護婦のお世話をお願いしたら、そんなものは日本にはいないという返事。そこで日本にも看護婦を作ることになった。それを桜井女学校のツリー女史が実行した。帝国ホテルなどでご案内して、日本の方々の寄付をお願いした。真面目に耳を傾けた人もいたが、一笑に付して、「そんなものは無用の長物だ。病人は親身の看病で沢山だ」と空嘯いていた方が多かった。 113
 
家庭看護婦の嚆矢
看護婦が家庭へ屏された最初は、今日のごとく女中代理のような時代でありませんから、家庭の人々から敬遠され、看護婦は威張っているように思われました。病人を看護する役目の重大なのと、旧幕から長い間の週刊にとらわれていた家庭ですから、看護というものは、身寄りが寄って集って看護するものときまっていたような関係から、看護婦を厄介物視して、始末に困った家庭がありました。ソレがご大家でソレでした。 161