江戸時代の番付と薬種商

林英夫, 青木美智男編, 番付で読む江戸時代, 柏書房, 2003.

 

19世紀には日本の各地において、薬種商が大きな力を持ち、同時に人々が自分たちが住む地の薬種商の商家の力や、そこが売る薬種の力を理解していた。その理解は、多少の漠然さを持っていた。中国医学の概念によって個別の薬を消費者として把握していたかどうか、それが番付で表現されたかという点は、疑わしい。番付の形成には、それぞれの薬の効果だけではなく、薬種商側の広告作用も働いていたかもしれないし、消費者側が持っている文化的な慣習も大きく働いている。しかし、林秀夫・青木美智男『番付で読む江戸時代』によると、大阪や金沢などで刊行された番付において、薬種商の影響が非常に強く出されている。大阪での長者番付においては、大阪の長者の約300人のうち、本両替が80店、木綿・糸・綿など衣料が27店、それについで、薬種業は11店の第3位である。(363-364)  また、金沢においては、富山の影響もあり、薬種商の影響はさらにとても強い。冒頭には反魂丹や赤玉などの著名な薬剤を含めて8点の薬剤の前があげられ、富裕な薬種商店として15点があげられている。これは、酒造や呉服などの現在でも金沢の名産品と並ぶ職種である。