家庭と犯罪と宗教とハンセン病の看護

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今日のDNBは複雑な面白さを持っている。ある女性の人生である。家族の問題の中で義理の弟を殺したと告白し、結局オーストラリアに行って看護婦になってハンセン病の看護を行った女性である。

19世紀に殺人を犯したコンスタンス・ケント (1844-1944).  イングランドで生まれる。父親のサミュエル・コント (1801-1872)は工場監査人補佐。最初の妻は母親は合計で10人の子供をうみ、最後の子供を1845年で産んでから精神疾患になり、おそらく公立の精神病院に収容されて1852年に死亡した。父親は、家庭教師と家政婦としてやとっていた女性と再婚。この第二の妻とは3人の子供が生まれ、先妻の子供たちと一緒に住むようになった。
 
1860年に、当時まだ3歳だった息子が、何度も刺されて殺されていることが発見された。コンスタンスから見たら、義母が愛している子供であり、義母との関係は緊張していた。疑いはコンスタンスに向かうが、傷の様子などが16歳の少女にとって可能かどうかも大きな疑問となった。父親が、家のメイドと浮気していたのではないかという疑いもあり、その現場を弟に見られたのではという疑いもあり、探偵小説のようになってきた(笑)この段階ではコンスタンスは訴えられてもいない。しかし、1863年キリスト教の女性向けのリトリートにいる間に、優れた牧師に導かれて、自分が有罪であるという告白をした。この告白が、本当に真実かどうかも疑いがある。
 
その後、死刑から懲役刑になり、1885年に別名を与えられてオーストラリアに移住した。オーストラリアではまずメルボルンで看護婦学校で勉強して看護婦となる。40歳くらいの時期である。そこから、少女たちのための学校や、ハンセン病患者の収容施設で看護婦の仕事を行う。最終的には看護婦寮のようなものを設立して、そこで死亡した。
 
伝記があったので、少し古いけれども、買っておいた。母親の精神疾患も面白く、ハンセン病の看護婦も面白い。