赤本と民間療法

築田多吉(1872-1958)は、近代国家の枠組みに沿って日本全国の民間療法を収集することができた。彼は、海軍の衛生兵であり、看護学の基礎を教わり、兵士の多くの外傷や疾病の救急の対応や介護を学んだ。主に海軍の病院の看護勤務を任せられたため、全国各地で看護の仕事をすることになり、そこからそれぞれの土地における民間療法を集めることができた。また、軍艦に乗務している軍人が、家族の病気や死のために家に帰ることが多く、その原因を考えると、家の主人である軍人が医療や民間療法の知識を独占している状況が分かったという。この状況をただすためには、軍人の家庭のメンバーが医療や民間療法のことを重点的に知らなければならない。築田は、京都の舞鶴海軍病院で、家族と連絡を取りながら軍人や家族自身の健康に貢献することを行った。
 
このような仕組みで家族の民間療法の全国版は、1925年に刊行されて、爆発的なヒットとなった。現在までに1500万部も売れたという。すなわち、江戸時代の政府が地方の植物を用いた療法を収集するのと同じ方法を、海軍の看護士であることを利用して再生産するという方法が1920年代半ばに用いられていることに注目しなければならない。
 
山崎, 光夫. 「赤本」の世界 : 民間療法のバイブル. vol. 206, 文藝春秋, 2001. 文春新書.