歴史と記憶と精神医療の症例誌

Le Goff, J. (1992). History and memory, Columbia University Press.
Le Goff, J. and 孝. 立川 (2011). 歴史と記憶, 法政大学出版局.
 
精神医療において症例誌を用いることの大きなメリットが二つある。一つは歴史学が持つ客観性を高め、過去の人々の精神医療の経験をより全体的に再構成できることである。もう一つは、ヨーロッパやアメリカと比較する確かな枠組みを持つことである。
 
客観性について言うときに、歴史と記憶の問題に取り組まなければならない。ジャック・ル・ゴフは『歴史と記憶』の中で両者のあるべき関係についてこのように言っている。<近年のナイーブな傾向は、この両者をほとんど同一のものとみなし、さらには歴史よりも記憶のほうを、ある意味で、重視している。つまり、記憶は歴史よりもずっと本物であり「真」であるが、歴史は人為的なものであり、とりわけ記憶の操作により成るものである。しかし、記憶は、心的なものであれ、口承であれ、書かれたものであれ、歴史化にとっての材料の生贄である。記憶のはたらきは、多くの場合、無意識的なものであるから、実際、歴史学それ自身よりもいっそう時代や社会の操作に規制される危険が大きい。これに対して歴史学の方は、記憶をより豊かなものにし、個人や社会が生きている記憶と忘却の大いなる弁証法的なプロセスの中に戻っていく。こうした記憶と忘却を理解し、それらを志向可能な素材に作り変え、それを知の対象にすること、そこに歴史家の役割がある。記憶を特権視することは、時間の荒波の中に呑み込まれることなのだ>。
 
私が論じようとしているのは20世紀の前半、主として1930年代と40年代の精神医療の歴史である。そこで記憶だけが重要であるとか、記憶を口承で復活させるオーラル・ヒストリーが重要であるというようなことには、私は賛成しない。精神病院に関しては、書かれた資料が非常に数多く残っている。その書かれた資料を見るように努力するべきである。
 
比較史の視点については、私が制度的に日本史の研究者ではなく医学史の研究者であることも大きくかかわっている。私は欧米の精神医療の歴史と強く関連させて日本の精神医療の歴史を研究している。そのため、デメリットとしては日本の他の事例については表面的な知識しか持っていないが、メリットとしては、欧米の精神医療の歴史については専門的な知識を持っていることである。しかし、それよりも重要なことは、症例誌が持つ世界に関する全体性と、患者個人に関する症例誌の個別性である。どの国の症例誌には何がどのように書かれているのかという世界全体にかかわる問いが一方にあり、もう一方にはどの患者がどれほど個別的なものなのかという問いがある。ル・ゴフの言葉を借りると、<一面では規則性を見定め、他面においては偶然と合理性の相互作用に注意をする>となる。