精神病院における患者の死について

精神病院における患者の死と、それがどのように当時の社会や文化に組み込まれるのかを論ずる章を書きはじめている。今のところは、いろいろな本を読み散らしているというのが現状で、学術的な研究と、そうではないことの双方を考えている。

後者では、A.S. Byatt のPossession というだいぶ前の小説があり、それを読んでいる。20世紀後半のポスドクの研究者とそのガールフレンドがいて、この研究者は19世紀の文学者の史料を読んでいる。19世紀の文学者にも妻がいて、二つのカップルが時代を通して存在する。そして、19世紀と20世紀のカップルたちがそれぞれ複雑な事件を起こし、20世紀のポスドク研究者はその謎を学術的に解くと同時に、19世紀にはキリスト教が崩れている時期に心霊術を用いるという話だったと記憶している。ある意味で生と死の間が繋がれる話であり、歴史学者である私が、過去の死をどう考えるのかという問いに関する非常に洗練された大ヒット作品である。

この作品には日本語の翻訳もあり、そこで著者が書いている「あとがき」も面白く、そこから重要な引用をメモした。

芸術は政治のため、教育のためにあるのではなく、何よりも楽しむために存在するのであり、楽しむことができなければ、無に等しい。コールリッジが熟知して語っているように、芸術は、楽しめてこそ、他の機能を持ちうるのである。

ホーソンより(これは冒頭にもある)。歴史を扱ったロマンスは、リアリズムによってではなく、はるかなる過去と、刻一刻過ぎ去りいく現在を、一つに結び付けることへの願望から成り立っているのである。