朝鮮人と演歌『お国節』の問題

王子脳病院の朝鮮移民にとって、朝鮮の歌が一つの大きな謎になっている。一つ演歌の中で朝鮮人がうたわれている部分があったのでメモ。演歌のタイトルは『お国節』。現れたのは1920年語のようである。はじめは「武蔵の国でノーエ 自慢したいはノーエ 米を作らず米食う虫けらうようよ住む東京」のようにはじまる。その中で朝鮮人が登場する部分がある。
 
朝鮮自慢はノーエ
朝鮮人参ノーエ
飴サラ、虎狩、オンドロ、キイサン、唄はアララン、タンバクヤ
山は金剛山ノーエ
川は大同江ノーエ
筏流しで名高い大河が支那と境の鴨緑江
 
これに、このようなコメントをつけている。「今は隣の国となった朝鮮でこれがさかんにうたわれ、妓世は宴席でかならずうたうものになっていた。が、その詞に続けて反歌のように「日本自慢はノーエ」と一節やっていたのは、客へのサービス、媚態でありながらその底に民衆的抵抗のひやりとするものをひめていたのを、日本の支配階級は感じ取らなかったようである。」
 
実は無知な私にはまだこの演歌はよく分からない。特に三行目がわからないことが多い。アラランを「アリラン」と読むと少しわかる部分もある。でも、そもそも、1920年から30年の日本人や東京人は、この3行目が分かったのだろうか。