生活空間と職業空間

大阪市の中心部に道修町資料保存会という団体があり、その会員になっている。そこが『道修町』という機関誌を一年に4回発行している。4ページの短い機関誌だが、紹介される史実の面白さ、写真の美しさ、イラスの楽しさなどがあって、毎回喜んで見ている。2020年の春号である第93号では「軒切り」という主題の文章があり、明治後期から大正期にかけて、道路拡幅・整備にともない軒先を斬る通称「軒切り」が行われたことに関する面白い記事があった。御堂筋が整備されていた時期とのこと。
 
ここでは道修町では1920年にこの軒切りを受けたこと。道幅は現在の約半分程度と非常に狭かったこと、北船場でも特に際立って空気の悪い、埃もうもうの喧騒の町であったこと、各商店の軒先が道にせり出し商品や荷が積まれ、リヤカー、自転車が置かれるなど、人がやっと通れる状況であったとのこと。
 
この状況には、当時の多くの商店主は、商いの場を生活の場として暮らす職住一致の生活様式を取っていたこと、ところが「軒切り」だと、狭くなった商いの場に、商店主とその家族が暮らすことは難しいこと、大阪に商いの拠点を持つ多くの商店主が、芦屋、御影、西宮などに住まいを移し始めたとのこと。
 
道修町界隈の近代化を促した<軒切り>」『道修町』93号(2020)