医療の歴史の名場面の写真集

Hansen, Bert. "Medical History’s Moment in Art Photography (1920 to 1950): How Lejaren   Hiller and Valentino Sarra Created a Fashion for Scenes of Early Surgery." Journal of the History of Medicine and Allied Science 72, no. 4 (2017): 381-421.
 
アメリカの医学史雑誌の最新号にとても面白い論文。20世紀初頭から中葉のアメリカで活躍した二人のプロの写真家の作品に、医学の歴史の名場面を再現した
作品がたくさんあるとのこと。白黒写真だが、イラストも数多く入っている。ネット上で写真家の名前と Surgery through the ages と入れると写真を数多く見ることができる。写真はドラマティックで、勇敢な挑戦者で開拓者で古い慣習に反対した医者が主人公である。このような描き方を著者は heroic individiualism と呼んでいる。医者はもちろんほとんどの場合が男性で、患者は若く美しい娘で豊かな胸が露出していて、著者によると「女性のヌードが多すぎる」とのこと。一つ紹介しておく。ペストの時の治療を描いたもの。女性患者は皆若くて美しくて胸を露出している(笑)
 

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医学と歴史を両方勉強する仕組み

医学史の研究動向に関する論文を大急ぎで書いている。明日には仕上がって原稿を送ることができる。主題はイギリスの医学史の発展で、それを振り返りながら、これからの日本で医学史はどうなるのだろうとやはり考えてしまう。その中で考えがまとまった部分があり、これはもちろん原稿にはしないので、ここに書いておく。
 
医学史は医学・医療と歴史学の二つの学問が接した領域にあり、どちらの学問も必要である。私は医学を習ったことはなくて歴史学側であるが、積極的に医師や看護師と一緒に仕事をしている。歴史学の世界には、医者よりの医学史を批判する声もないわけではないが、多くの歴史学系の医学史研究者は、医学と歴史学の拮抗対立は重要な洞察を得るマイナー・エピソードにするべきであると心得ている。医学のほうでも、恐らく似たような状況があるだろう。ここは、それほど心配するべきではない。
 
一つの大きな問題は、医学部出身の方をプロの医学史研究者にする手段である。医学を学び、人文社会学系の大学院で博士課程だけなら3年間、修士を入れると5年間勉強すると、歴史系の医学史を学んで立派なMD PhD となることができる。学部水準の歴史学の知識もあるとよくて、そのためには慶應だと通信教育の過程がある。そのあたりを考えると、医学部から歴史学を学んで立派な医学史家になる道が開けて始めている。最短で3年というのは、意味がある数字だと思う。
 
もう一つの問題が、歴史学出身の学生が医学に接する仕掛けである。これがなんとかなる方法をなんとかして見つけよう。順天堂の坂井先生は解剖学の実習を非医学部生にも提供していた時期があり、素晴らしい試みである。私も行きたかったのだが、機会がないままこの年になってしまった。このような企画は、他にあるのだろうか。

ミルトン『失楽園』

大学院生とミルトンの『失楽園』の最後の部分について話していて、暗唱できなくなっていたことが分かったので、Evernote に書き写し、ブログにも書いておく。少なくとも、with wandering steps and slow の部分は出てくるようにする。以上、誓いました(笑)

They, looking back, all the eastern side behold
Of Paradise, so late their happy seat,
Waved over by that flaming brand, the gate
With dreadful faces thronged and fiery arms.
Some natural tears they dropped, but wiped them soon;
The world was all before them, where to choose
Their place of rest, and Providence their guide:
They hand in hand, with wandering steps and slow,
Through Eden took their solitary way.
(Milton, Paradise Lost)  

 

医療のリスクについて

磯野真穂、上田みどり. "心房細動の抗血栓療法における不確実性―人文・社会科学の立場から." Medical Science Digest 42, no. 11 (2016): 509-13.
 
先日の京都のワークショップでお会いした磯野先生に論文を頂いた。医療におけるリスクが、医療者と患者にとってどのような意味を持つのかについての議論である。リスクは、私が勉強していないたくさんの主題の一つで、ありがたく拝読する。「心房細動の抗血栓療法」に関する新しい治療法のリスクの話である。理論的なフレイムワークとしては、経済学者の F.H. Knight, 社会学者のルーマン、人類学者のメアリー・ダグラス、そして一ノ瀬正樹などが用いられている。「疫学統計上は計算可能なリスクとしてみなすことができる現象は、[臨床の]現場では真の不確実性の色を帯びる」という一文を憶えておこう。

医療のリスクについて

磯野真穂、上田みどり. "心房細動の抗血栓療法における不確実性―人文・社会科学の立場から." Medical Science Digest 42, no. 11 (2016): 509-13.
 
先日の京都のワークショップでお会いした磯野先生に論文を頂いた。医療におけるリスクが、医療者と患者にとってどのような意味を持つのかについての議論である。リスクは、私が勉強していないたくさんの主題の一つで、ありがたく拝読する。「心房細動の抗血栓療法」に関する新しい治療法のリスクの話である。理論的なフレイムワークとしては、経済学者の F.H. Knight, 社会学者のルーマン、人類学者のメアリー・ダグラス、そして一ノ瀬正樹などが用いられている。「疫学統計上は計算可能なリスクとしてみなすことができる現象は、[臨床の]現場では真の不確実性の色を帯びる」という一文を憶えておこう。

『医療人文学』最新号ー特集「恥・スティグマ・医療」

Current Issue | Medical Humanities

 

イギリスのBMJ の Medical Humanities の最新号が「恥・スティグマ・医療」の特集号です。ある病気にかかったことを恥と思いスティグマととらえる現象、ちょうど知りたいところでした。今回は特集記事も多く、目を通すことができそうです。 

 

 

明治期末の会社組織の病院

同じく京都医事衛生誌の明治43年10月発行の199号の記事に、大阪と京都に会社組織の病院ができたというニュース。
 
まずは、神戸―大阪に合資会社組織の病院が設立されたというニュース。これは高橋眼病院という。病院と言えばこの時期は官公立か一私人の設立だが、これは合資会社として設立された。このように純然たる営業を目標にして設立されたものは殆ど絶無であるとのこと。その病院がどのような扱いを受けるのか、ことに過失の時にだれの責任になるのかなどが議論されるだろうとのこと。
 
次は京都に設立された株式会社としての栗田病院。医業は営業ではないが、この病院は、医みずからが利益配当を標榜して株式会社を設立する愚かなものであるとのこと。これは神聖なる医業を商工的な営業に堕落せしむるものである。株式会社何々神社とか、株式会社何々寺院などはないではないか。医は営業化の方向に抵抗するべきである。この病院の設立は嘆くべきである。
 
株式会社の病院が良くないというのは、実はこれまで考えることがなかった主題である。言われてみると、その主張は一通りは分かる。やはり医師と株主が悪いと思われがちだろう。医師の立場からすると、病院が儲かるように沢山の患者が出るように願い、株主としては、誰かが病気になると、自分が株主をしている病院に行って自分が儲かると思うということになる。これは、確かに人の苦しみが少なくなることを願う医の位置づけの根本原理と反している。現在の病院ではどのようにこの部分は処理されているのかしら。
 
この栗田病院というのは、もしかしたら精神病院かしら。いま、手元に資料がないので分からないけれども。