幸田露伴『対髑髏』 田中キャサリンの論文

田中キャサリン怪奇小説におけるハンセン病の肖像―幸田露伴『対髑髏』を中心に」『大手前大学論集』16号(2015), 89-124.  
 
幸田露伴が1890年に刊行した小説『対髑髏』についてのメモを書いた。これは、ハンセン病の患者を描いている部分があること、その部分は非常に生々しく、顔や髪の毛や手足など身体の重要な部分が破壊されている有様が描かれていること、しかもそれに精神疾患と妄想が組み合わさった作品になっていること、それと同時に夢の次元のはかなさのようなものを伝えている優れた作品であることなどをしばらく前にブログで書いた。そうしたら、ハンセン病の歴史の俊英の廣川先生から、田中キャサリン先生の論文を読むのがいいと指導を受け、すでにウェブに公開されている論文であるので、喜んでダウンロード・プリントアウトして読んだ。
 
とても良いお仕事だった。ハンセン病と文学について、日本の研究者の研究書や、イギリスの研究者が帝国主義の話の中に組み込んだ書籍など、すぐれた作品を数多く引用してくださっていて、とても役にたつ。日本文学にとってはハンセン病は社会に内在する脅威であるが、イギリス文学にとっては、植民地からもたらされる脅威であり、人種論などの影響を受けていたという議論も大切である。それから、私が読んだ古い岩波の全集とは異なっているというのは、ああ、ここがそうかもしれないなという引用があって、とても役にたった。また、この作品が英訳されているという私にとっては大ニュースがあり(笑)、この英訳の書物を確保すると、私にとっては話がすごく楽になる。
 
日本とイギリスの医学に関する議論について、ハンセン病の原因が近代医療と民間医療のいずれにとっても不明であったという議論が、1870年についてはかなり当てはまるだろうけれども、1890年という年代にあてはまるかどうかはちょっとわからない。1880年近辺にハンセン先生が病原体の発見と人体実験をして、大きな動きが表れているのだろうと私は思っているが、これは私の間違いかもしれない。
 
もう一つ、イギリスの文学系の分析だけでなく、歴史系の分析で、素晴らしい書物がある。Carole Rawcliffe, Leprosy in Medieval England (2006) である。もとはといえば中世の癩病についての大きな本であるため、近現代史の研究者があまり読まないが、素晴らしい側面を持っているから読んだほうがいい。中世ヨーロッパのハンセン病対応について、1980年代までは、ネガティヴに記述してその権力論や隔離論や差別論などを分析して展開するのが、人文社会系の中では正統の考え方であった。そのようなネガティヴな側面が正しい部分ももちろんある。ロウクリフ先生の書物は、なぜそのような考え方が表れたのかを、中世と植民地のイメージが確立する脈絡で分析する方法と、そのようなネガティヴな読みではわからない部分もあらたに読みとる見解を示す書物である。私(たち)から見ると、かつての学生時代に自分が強く納得した視点が、いかに歴史的に形成されたのかを知る、とても面白い仕掛けである。ロウクリフ先生の書物は、我々の議論を新しい段階へ移行する本であり、一世代前の R.I. Moore 先生の分析ももちろん読まなければならないけれども、その先の世界を切り開いたものだと私は考えている。
 
もちろん、田中キャサリン先生の分析も素晴らしい。ぜひ読んでいただきたい。
 
 

ただ一人カンヌ映画祭で受賞した女性監督の作品

www.economist.com

カンヌ映画祭で『万引きする家族』が受賞した。是枝監督をはじめとする皆様、受賞おめでとうございます!『エコノミスト』がこれを良い意味で好評した記事がとても面白い。この賞を受賞した女性の映画監督はただ一人。私がロンドンに住んでいた時に話題になった、女性監督のとても優れた作品でした。あれは映画では海水に沈むとして描かれているが、実は浮くものだったというジョークがともなった作品です。

津山事件と結核の影響

中村, 一夫. 自殺 : 精神病理学的考察. vol. B-5, 紀伊國屋書店, 1963. 紀伊國屋新書.
 
中村一夫という精神病医の『自殺論』に津山事件についての素晴らしい説明が入っていたのでメモ。
 
津山事件は昭和13年岡山県の西加茂村で起きた大量殺人事件。都井睦夫という21歳の青年が、深夜に同居していた祖母を皮切りに、同じ貝尾部落の人々を銃と日本刀で30名以上を死傷させ、最期には自ら自殺した事件である。詳細な研究やルポルタージュの対象になっている。私が読んだ範囲では、筑波昭『津山三十人殺し―日本犯罪史上空前の惨劇』 (新潮文庫、2005)が非常に優れた作品であり、岡山の農村と大阪のメディアを接続した空間に作り出したあたりが素晴らしいと思っていたが、かなりの部分が筑波によってねつ造されているらしいとのこと。うううむ。より優れた石川清が2011年に刊行した研究を読んでみよう。
 
中村一夫の記述は、戦前の精神医学の優れた特徴である、患者の行動を確実に理解して的確に記述するありさまが鮮明に表れている。中村は東北大学東京大学で精神医学を学んでいるが、津山事件論を学んだのが、吉益修夫という戦前の精神病医で数少ない国民優生法の支持者であり、その影響がある。
 
ことに重要なことは結核の診断の影響である。津山事件は青年による大量殺人でよく意味が分からなかったが、結核の診断が大きな役割を持ったこと、それも都井自身だけでなく村や部落にとっても重要だったありさまがよく分かるように書いてある。都井は裕福な農家に生まれたが、生後2年付近に父親と母親の双方が肺結核で死亡して、祖母に引き取られた。尋常・高等のどちらの小学校でも秀才であったが、高等小学校を卒業する前後に、肋膜炎を患うことと、上級の学校に進学することをあきらめるという二つの事件が重なって起きた。この肋膜炎という診断の周囲に肺結核の可能性が強く表れていた。その後も肺結核の診断や危険などが常に人生に現れていた。決定的な重要性を持ったのが、昭和12年の徴兵検査の折に肺結核と診断され不合格だったことである。国民として男性として徴兵検査で結核と診断されて不合格となることは、非常に屈辱的であり人生の根本を否定されることであった。この徴兵検査での診断の前後から、部落の複数の女性との乱れた性交渉が始まる。都井にとっては結核の診断が自らの人生を否定していくのに大きな意味を持っていた。
 
一方で、村や部落の側にとっても、肺結核である個人は大きな意味を持っていた。中村が昭和38年に訪問したときには、近隣の村で結核を病んだ元患者や、当時の加茂町の町長によると、共同体が結核の患者に示した嫌悪は非常に強かったという。具体的に意地悪はされないが、結核筋(けっかくすじ)の家は敬遠されていた。加茂町の町長は、家で敬遠することでなく結核の検査を保健所で行うことのメリットを強調しているが、私に言わせると、結核を治療することができるようにならなければ、結核検査はハンセン病検査と同じような機能をフルに果たすようになり、結核筋へのある意味での嫌悪は強くなり、巨大な結核収容所に人々を送り込むというプランは実現しなかったことであることを考えておくといい。ちなみに、結核ハンセン病を並べているのは中村か元患者か町長か、よくわからない。

幸田露伴「対髑髏」における精神疾患とハンセン病

幸田露伴が若き日に名声を確立した小説が「対髑髏」である。1890年(明治23年)に刊行されて、全集の第一巻に収められている。文章、漢字、成句などが超絶的に難しいが、実際に名作であるし、ふりがなが大いに助けになる。医学史としても非常に面白い主題で、性、妄想と精神疾患ハンセン病の三つの主題が取り上げられている。ごく短い形だが、今書いている書物の第一章の背景で軽く触れるだろう。以下では内容に触れている。
 
二重の妄想を組み合わせていて、ある旅行中の男が妄想を見て、その妄想の中で女が彼女の妄想を語るという仕掛けになっている。男が病となって中禅寺の奥の白根嶽に滞在してそれを平癒させる。それから上野から下野に山を越えていき、地元の人間に案内してもらい、国別れの場所で分かれて、谷沿いに四里ほど下ると小川村があるといわれる。男は少し迷ってしまい、夕刻に民家に泊まることになる。その小家では24,5歳の美しい女が一人で住んでおり、男を風呂に入れ、食事を出し、着物をつくろい、最後にはこの家は一人住まいなので寝具は一組しかなく、そこで一緒に寝ようといって男の手を握る。男はこの女は妖怪かもしれないと考え、誘いを必死でしりぞけて断る。この部分は性の議論が美しく展開されている箇所である。女はそれに対して、私の人生を語ろうといって、東京の富裕な家に生まれたこと、彼女が10代の時期に父親と母親が病死したこと、一人になった彼女に恋をした男たちが無数に現れ、うち一人の貴族でドイツの学位を取った官僚が彼女に恋をしたことなどを語る。しかしその若者の恋が成就せず、彼は死んでしまい、女が一念発起して、浮世を捨て、この山奥で坐禅をすることにしたことなどを語る。
 
ここからが医学史家にとっては大事な展開である。男がふと気がつくと女も家も消え、白い髑髏があるだけである。男は小川村に行き、温泉宿にとまって主人に話を聞いてみたところ、その髑髏は精神病とハンセン病をわずらった一人の女のものだろうという。しばらく前に、狂女で癩病病みが山の中に消えていったという。恰好が乞食のようであり、襤褸をまとい、足は裸足で、杖をついていること。身体は病にさいなまれた状態で、ハンセン病が念頭におかれているのだろう。手足の指はみにくく曲がり、何本もの指は消失しており、身体の色は薄黒赤く紫になって光る部分もあり、顔は恐ろしい獅子のように孔があき膿汁が流れ、髪の毛はすべて落ちている。それに精神病がかさなり、言葉は意味不明であるし、道端の石や樹を打ちたたいては狂いまわって、狂いながら山奥に入っていったという。この部分で、女の精神疾患ハンセン病、そして女と男の妄想が語られる場面である。
 
全体としてネガティヴな記述であるが、色々と面白い部分があり、それに短くコンパクトにしかし面白そうに言及する方法を考えよう。

ハッキング『マッド・トラベラーズ』の書評が出ました!

f:id:akihitosuzuki:20180519135300j:plain

 

図書新聞』3352号(2018年5月26日)に、イアン・ハッキング『マッド・トラベラーズ』(2017) の書評を掲載しました。いくつかの側面で面白い著作です。ある概念の精神疾病の歴史を書く時の「生態学的なニッチ」と呼ばれる方法論、欧米各国を比較する方法、そして患者のよる自分自身の説話や病床日誌などの史料をマテリアルとして提示する方法。精神医療はもちろん、医療の歴史学が参考にすると良い著作です。医学史の授業でも、抜き刷りをテキストにすることができますlご興味がある方には書評のPDFをお送りしますので、送付の方法をお知らせください。

女性と科学についての作品の劇評(北村 紗衣先生)

igakushitosyakai.jp

「医学史と社会の対話」の新しい記事です。DNAの構造解明につながる研究を行った女性学ロザリンド・フランクリンを主人公にした演劇が2008年に作られ、アメリカやイギリスで上演されています。それを翻訳した作品が2018年の4月に東京と大阪で上演され、劇評を北村紗衣先生に書いていただきました。科学と演劇の二つのジャンルを結び付けた素晴らしい劇評です。ぜひお読みくださいませ。

 

 

巨人の星、ターザン、ヨガ

幼いころから今までのエクササイズのモデルが変わっている。一番幼い頃から高校生くらいの時期が巨人の星、大学生から大学院生がターザン、そして現在はヨガになった。変わったのか加齢の結果なのか、それともまったく変っていないのか、よくわからない。
 
幼い頃のエクササイズは、家の長い坂道をうさぎ跳びで一人で黙々と練習する時間だった。1964年の東京オリンピックに影響されたのかもしれないし、巨人の星かもしれないし、サインはVかもしれない。家でやることは、読書か、ピアノの練習か、うさぎ跳びの三つだった。読書は大好きで、ピアノの練習は人格が崩壊したので、うさぎ跳びはかなり好きだった。体育で走ることは得意だったし、高校ではテニス部のキャプテンをして郡大会で優勝したりした。巨人の星の時代である。
 
大学生から大学院生の時代がターザンで、これはうさぎ跳びと重なる部分がある。ターザンという雑誌がエクササイズを宣伝していて、色々なことを一人でやった。腹筋とかそういったものをやったり、夜中の運動場でサッカーボールをけりながら時間を計ってみたりした。自分でもよくわからない時期である。
 
最近の新しい転換がヨガである。私はこれまでヨガをやらなかった。周囲のいろいろな人たちが影響されて、ヨガっぽいことを、音楽をかけたりDVDをかけたりしてやっていたのだけれども。やらなかった大きな理由はインドの運動だからである。インドはスポーツが弱い。オリンピックのメダル数で見ると、世界で一番弱い国ではないかと思う。人口比で考えるとスポーツが弱いのはもちろんだし、それを忘れても不思議になるくらい弱い。50代になってオリンピックがどうのこうのと言っているほうがバカであるのもその通りだが(笑)、インドのエクササイズという概念がよくわからなかった。やるようになった大きな原因は、1960年代の新しい健康やスピリチュアリズムやインドとは無関係なヨガという概念を知り始めたからである。これを体でやると、20世紀中葉の医学史がよりわかるからである。そう考えると、50代のヨガは、幼年の『巨人の星』の中での孤独なうさぎ跳びと全然動機付けが変わっていないというか、むしろ悪化したのかもしれない(笑)