最後の開花をまだ続けているバラ・できなかったバラ

今朝の庭。今年最後の開花をまだ続けているデズデモーナと、力尽きたガートルード・ジキル。色々と思うことが多い二つの光景。そして、デズデモーナを色々な意味で最高傑作だという作庭師の言葉を認識しました。

 

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下田次郎『胎教』

下田次郎. 胎教. 増訂 edition, 實業之日本社, 1923.
 
下田次郎という東京女子高等師範学校の教授のヒット作の一つが『胎教』である。1913年に書かれ、1923年には増補改版されている。下田次郎は東大の文学部哲学科で教育学を学び、イギリス、アメリカ、ドイツに留学して、帰国してから女子の性について論文を提出して博士号を得た。東京女子高等師範学校で長く教えて、多くのベストセラーを書いている。
 
『胎教』を読むと不思議な感じがする。下田が多くの分野に関して色々と知っていることは、たしかにその通りである。その多くの分野は本当に多様であり、受精に関する生理学の話と、中国医学の養生論の話と、仏教やキリスト教の聖母の話と、トマス・ハーディーの短編小説の話と、アメリカの社会調査で得た母親になった経験などなどが並ぶ。西洋医学漢方医学、宗教、文学、社会学などの話である。医者に対する態度も、面白い態度である。妊婦や母親になったときには医者の言うことを聞いて従いなさいといいながら、医者はどうせ10分くらい見るだけだから、患者の子供に対して見落としも多くて、親のほうがよく知っていることもあるということを付け足す。
 
 

日本帝国による1940年代の高砂族の眼科学的調査

1944年から45年にかけて『台湾医学会雑誌』に、4つに分割された論文が刊行。全体としては「高砂族の眼科学的調査」と題され、四つの論文は、サイシアト族、タイヤル族、不明だがおそらくブヌン族アミ族と題されている。不明というのは、1945年の44巻1号に掲載されているのだろうと思う。ブヌン族だろうというのは、アミ族を論じた論文でそう言及されているから。今回は、たまたま現物を静岡市古書店が売っており、吉永先生にお勧めされて買ったという理由で、3つの論文しか見ていない。『台湾医学会雑誌』の該当号は、医学部の図書館がおそらく持っているので、そちらに請求してみます。
 
フィールドワークを行ったのが1942年8月から43年2月まで。投稿は4本分を一括して1944年4月。目標は高砂族の教化と文明化が順調に進み、台湾総督府は絶大に評価され、高砂族への賛辞も高く、その素質も素晴らしいと考えられている。ことに原住地の山岳地帯から平地に近い地域に移住している。ここで文明的な生活に変わるから、原住地での健康や疾病の状態が変わっていく。その状態を記録しておこうという狙いである。基本は、これからの大東亜共栄圏の拡大の中で、熱帯地域の征服と文明化を考えるときのベースを理解しておくという発想である。
 
調査の結果は以下の通り。フィールドワークのためのテント、電灯、検眼鏡の写真も載せます。
 
部族名 調査人数 調査地域 原住/移住 開始日 終了日 視力1.20以上の割合 トラコーマ罹患者の割合
サイシアト族 622名 8部落 原住地 1942/8/25 1942/9/4 79.9% 56.2%
タイヤル族 1143名 6部落 原住地 1942/9/26 1942/10/17 84.9% 76.8%
不明              
アミ族 1040名 4部落 移住地 1943/2/9 1943/2/16 77.1% 82.9%
 

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トラコーマ率が8割で非常に高いということも重要だが、視力に関して、1.2以上の人物が8割を超えているという現象もすごい。現在の日本の視力はとにかく低下し続けているし、小学生のゲームブームを見ると、明るい展開は持っていない。私は35歳くらいまでは2.0くらいをキープして、それを自慢する馬鹿でしたが(笑)、今は悲惨です。うううむ。
 
 
刊行された3つの論文は、以下のようなものである。
 
茂木宣、國友昇、熊野誠毅、邸林淵、寥貴盛、胡キン麟、李徳輝. "高砂族の眼科学的調査 其一「サイシアト族." 台湾医学会雑誌, vol. 43, no. 11, 1944, pp. 718-790.
 
茂木宣、國友昇、熊野誠毅、邸林淵、寥貴盛、胡キン麟、李徳輝. "高砂族の眼科学的調査 其二「タイヤル族." 台湾医学会雑誌, vol. 43, no. 12, 1944, pp. 826-836.
 
不明
 
茂木宣、國友昇、熊野誠毅、邸林淵、寥貴盛、胡キン麟、李徳輝. "高砂族の眼科学的調査 其四「アミ族."  台湾医学会雑誌, vol. 44, no. 2-3, 1945, pp. 71-81.

千鳥格子とアルハンブラ

家の布団カバーはロンドンのV&Aで買った。10年くらい使っているが、はじめて千鳥格子の模様だと気がついて、実佳に聞いてみたら、これは「アルハンブラ」という名前で売っていたとのこと。ネットで千鳥格子を調べたりアルハンブラを調べたりして、この二つが非常に似ている場合があることを発見した、あまり意味がない夕刻(笑)

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症例とアーカイブズー歴史学と批評理論の解釈

Anderson, Warwick. "The Case of the Archive." Critical Inquiry, vol. 39, no. 3, 2013, pp. 532-547,  doi:10.1086/670044.
 
ウォリック・アンダーソン先生はオーストラリアの優れた医学史研究者で、アジア研究にも貢献している。フーコーや批評理論などを上手く使って洞察を示す力がある。この論文も、1994年にオミ・バーバという著名な文学研究者が、ナラティヴ論を展開するときに、医学の症例に関する症例の成り立ちを質問してから20年かかった答えであるとのこと。バーバの名前が象徴するように、文学の批評理論と歴史の実証性を組み合わせようとしている。
 
冒頭では、現在の医療とも関係が深いエピソードで始める。かつて医学を学んでいたアンダーソン先生たちが、「優れた症例」に目が行ったという話である。本格的な議論の最初は、フロイトが書いた著名な症例を紹介する議論である。英文学者たちが症例というと基本的にフロイトで考えるから、まずフロイトが症例を執筆するありさまを議論するところから始まる。もちろん、フロイトが書いた症例は非常に文学的である。患者の人生、家庭、精神分析者との関係などが、長いストーリーに組み込まれる。これは他の病院の症例とは区別されるべきものである。他の病院においては、19世紀の初頭の大きな病院などで患者個人のための症例が成立する。ここでは、病院であるから、医療と行政が組み合わされた状態で、それが症例を構成するという。次の部分が一番面白いところで、病院における症例の発達は、アメリカの軍隊における医療記録の進展と並行しているという。ことに南北戦争における詳細な疾病や傷病の記録などが重要であるという。最後がデリダアーカイブズ論(知りませんでした・・・)と絡める議論である。病者の行動が記録されて保存されるアーカイブズが伴うという議論だと思う。
 
実証歴史家から見ると、おおまかな点も多い。しかし、非常に多くのメリットが含まれている。歴史を勝手に使うイデオロギーときちんと向かい合って、史料を洞察が高い枠組みで分析する、水準が高い議論を学者たちがすること。そして、それが一般の人々に共有されること。どちらも大切な仕事である。アンダーソン先生の論文、議論への導入の一つにとって素晴らしいと思う。数十点の「これも読むこと」とともにおすすめします。
 

第一次大戦期の精神病院における壊滅的な死亡率ーベルギー編

historypsychiatry.com

 

第一次大戦期の精神病院。イギリスの精神病院では、戦争神経症を確定的に発見して、現代の男性と現代生活のストレスの関係を読み解いた重要な貢献をしました。それと同時に、ドイツでは、異様に高い死亡率が記録され、栄養や生活状態などが非常に低下した組織でもあります。この二つの関係は、日本のアジア・太平洋戦争でも起きた現象です。ことに1944年から45年にかけては、半数以上の患者が病院で死亡するという異様な現象が起きていました。

ベルギーにおいても、第一次大戦期に異様に高い死亡率という現象が起きているとのこと。優れた論文集です。フランス語という言語ですが、きっと表とグラフとだいたい分かるタームでの議論なので(笑)、私も読んでみます。表紙のイラストは高齢者が多いという現象を示しているのかもしれませんね。もしそうだとしたら、日本の現象とは違います。

自殺の多様性と「180度反転した殺人行為としての自殺」

Wallace, S. E. and A. Eser (1981). Suicide and euthanasia: the rights of personhood, University of Tennessee  Press.
 
生命倫理学の議論の中で日本と欧米の自殺の議論が違っていた記憶がある。現在の状況はどうなっているのだろうか全く知らないが、日本人の女性がアメリカの男性と激しく対立して、子供と一緒に心中すると、それ自体が「子供殺し」という犯罪になってしまうという話を聞いている。キリスト教の意義、そしてその原理がさまざまな点に意義を付けていく欧米の生命観については、まだわからないことが多い。たまたま読んだ記事について、当然のように正しく、私も賛成している議論があったのでメモ。生き残る人に対して悪意がこもった行為として自殺をする個人がいること、これは自殺というより殺人であり、「180度反転した殺人行為としての自殺」であること。
 
"The person who commits suicide puts his psychological skeleton in the survivor's emotional closet - he sentences the survivor to a complex of negative feels and, most importantly, to obsessing about the reasons for the suicide death"  
 
Freud and Menninger.  the desire to kill.  "Although the self is the obvious victim in all suicides, the intention of some is the wish to harm, hurt, or destroy another"  "Murder in one hundred and eighty degrees"  
 
Persons who harbor a hate so overpowering as to kill themselves to in order to hurt and harm others cannot be said to be truly alive.  
 
Suicide must be recognized to constitute a broad category as homicide does, containing within it distinctively different types.