サルヴァルサンとペニシリン


必要があって、サルヴァルサンとペニシリンの国内製造で有名な「万有製薬」の社史を読む。文献は、『万有製薬株式会社 五十年の歩み』(東京:万有製薬株式会社、1964)

もともとは第一次世界大戦でドイツからの薬の輸入が絶えた後、梅毒治療薬の「サルヴァルサン」を国内で生産するために結成された会社であった。ここには例の東大と北里の対立も絡んでいて、北里側は、エールリッヒのもとで直接学んできた秦佐八郎と鈴木梅太郎を中心に、三共製薬によるサルヴァルサン国内生産を目指していたのに対し、対抗上、東大は伝研所長の青山胤通が理学部・化学の松原行一にサルヴァルサンの研究製造を乞い、松原が卒業生の岩垂享におおせ付け、岩垂が父親らともに「万有セーミ」なる会社を作ってサルヴァルサンの生産に乗り出した。工場を作るにも、ガラス器具にはじまって必要なものをすべて作らねばならないという条件からの出発だが、当時伝染病研究所の宮川米次がや岩垂が熱心に研究してすぐに完成させた。その実験をするときに駒込病院に再帰熱で入院した「ルンペン」を対象にした人体実験を行い、青山は許可したが、周りは反対したり心配したことを宮川が記している。

もうひとつ有名なのがペニシリンで、これは昭和19年末に開発がはじまり、昭和20年春には毎日200本くらいまでは量産できるようになっていた。しかし、5月末の首都爆撃で工場が焼失すると、軍は、その焼け跡から使えそうな機械をすべて岡崎の工場に運び、岡崎でペニシリン生産を始めた。戦後も岡崎のペニシリン工場はタンク型の製法をいちはやくとりいれ、主要なペニシリン生産者となる。20年代末には「化膿症と性病に」という触れ込みで、愛くるしい赤ちゃんがけがをしている「化膿」の部分と、「性病」をうつす胸をあらわにした女性を使ったポスターが刷られている。

「ダムネック」というフランスで製造された薬を性病予防薬として輸入していたが、これには避妊の作用もあって、発売当時は避妊薬としては認められなかったが、「医師の指示で使用されていた」という記述がある。ちなみにこのダムネックという薬は、キノゾールを使った消毒剤で、同じ仲間には「性守」という名前の薬もあるから、きっと、行為の直前に性器に塗って性病を予防したのだろうな。それが避妊にもなると考えられていて、実際、医者に相談すれば紹介して使われていたということ。

画像はペニシリンのポスター。背景には胸をはだけた女性の図柄があって、これは、母親というより性病に見えるけれども、ちがうかなあ。