1938年に、ローマ大学のチェルレッティは助手のビーニとともに、電気ショックによる痙攣で精神分裂病の患者を治療することに成功した。当時のチェルレッティの教室で研究をしていたドイツ出身で、ヒトラーの政権掌握後にイタリアに移住していたカリノウスキー(彼の母親はユダヤ人だった)が、1988年に現在のECTの権威であるリチャード・アダムズにインタヴューされている。
当時の精神医療の内幕と日常が分かる、色々と面白い記事である。その中で、最初の電気ショック療法 (ECT) の実験についての記述は紹介に値する。メドゥーナのメトラゾール痙攣療法が成功したことを聞いて、電気を使ったほうが簡単ではないかというアイデアは自然な発想だったらしい。しかし、チェルレッティは、ECTの安全性について大きな疑問を持っていた。以前に彼が動物実験をしたときには、動物の半分は死亡したという。電気について何も知らない助手のビーニは熱心で、色々と実験をした。その結果、心臓を電流が通らなければ死ぬことはないという程度の「保証」で、このチームはECTを人間に試してみることに踏み切った。
当然のように、チェルレッティは非常に不安だった。彼はビーニと他の数名の助手だけで最初の実験を行った。実験していることを誰にも見られないように、ドアの外にはチャリオルという神経学者が見張りに立っていた。患者の選択も巧妙だった。ローマを徘徊していて、しばらく前に警察が大学病院に連れてきた、住所も分からない患者である。もし、<不幸な事故>が起きたときに、闇から闇に葬るつもりだったのだろう。
いかにもありそうな話で一般受けしそうだが、カリノウスキーによるこの記述がどの程度信じられるのかは、微妙なところである。彼の記述からはチェルレッティに対する敵意が透けて見える。また、彼は研究室には所属していたが、実験そのものには関与していない。精神医学の圧倒的な先進国であるドイツ出身のカリノウスキーとしては、世界的に重要な業績を上げた辺境国の研究チームへの嫉妬もあるのかもしれない。
文献はAbrams, Richard, “Interview with Lothar Kalinowsky, M.D.”, Convulsive Therapy, 4(1988), no.1, 24-39.